title:『

墜地の果て


文字数:29145文字(29145)
行数:1478行・段落:379
原稿用紙:73枚分(400文字詰)
1章:VV   ★2章:帆翔   ★3章:産声   ★4章:迫間   ★5章:緩歩   ★6章:墜地   ★7章:うばう   ★8章:狂想   ★9章:二つは一つ   ☆→writing

墜地の果て:第六部

第四部:緩歩のあしあとへ←          →第七部:うばわれたもの。へ

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墜地の果て 《もくじ》
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―――――ぼくは両羽を失った。
あれから何があったかだなんて?
・・・・そんなの、語りたくもない。

見窄らしい姿。全ての力を無くしたただのゴミクズ。
こんな惨めな姿を、ローザ先輩にも、ダンテにも・・・皆に見られて、
ぼくは恥辱の余りどうしていいのかわからなかった。
こんな、今までで一番クズみたいなぼくを、よりによって天界の人たちに見られるだなんて…。



発端はあの出来事だった。
ごんべえが、いなくなったんだ。突然。
すごく胸のあたりに圧迫感を覚えた。怖かった。どれだけ怖いかなんて言い表しようがないくらい。
ぼくの心の支えが、一気に崩れて、真実をつきつけられたかのような。
ぼくの居場所探しごっこは突然ばたりと、そこで終わったんだ。
だって希望が、ぼくから消え去ったんだもん。
ごんべえはぼくを捨てた。ぼくがあまりにしょうもない半天使だから。
いつまでも進歩することもなく、前を向くことも出来ない、誰かを救うことすら出来ないグズ天使だから。
一番怖かったことなんだ。誰かに捨てられるって。ぼくから、誰かがいなくなって、
また、一人ぼっちになって。すごくこれを恐れてきたんだ。だから必死に頑張った。
天界で、どんなに惨めな想いをさせられても耐えてきたんだ!
朝晩何時間も続く拷問のような浄化作業。ぼくが天使で居るために、天界で生きるために必要な悪魔の封印作業。
ぼくは天界側の秩序の中で生きるために必死だった!
なんでもやった、信頼をつかむために、皆がぼくを白い目で見る目が少しでも和らがないかと、ずっとそれだけを期待して!
激痛につぐ激痛に耐えてきたんだ。そう、なのに、天界もぼくを捨てた。
ごんべえも、ぼくを、捨てた・・・・。
もう耐えられないよ。もう、もういいよ。
結局捨てられたんじゃないか。誰からも。
なら、なら、今まで頑張ってきたことは何だったの?
あの拷問のような浄化作業、天界で起こる事件は全部ぼくのせいにされた、あの疑いと避難の数々。
もう、ぼく、・・・。


・・・・・天使で居なくてもいいよね?


プツッと何かが引きちぎれる音がした。
その瞬間・・・・・・・!
・・・・・・ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!!
とてつもない地響きのような低い低い音が彼の中から発せられ、空間が歪み始める。
何か黒いものが、ヴァイオレットを取り囲み、彼に吸い込まれていく。
辺りからものすごい勢いで悪という悪がより集まってくる。
悍ましい、夥しい数の、大きな、大きな悪。
じっとこらえて耐えてきた、彼の中の希望が善意が、聖なるものが、最後の最後に、潰えた瞬間だった。

抗うことをやめたヴァイオレットに、ものすごい負のエネルギーが集結していく。
今までの怨念のようなものが、ヴァイオレットをより強い悪に変えていく。
過去の悲惨で非情な出来事が次々とそこに現れ始める。


−冤罪の記憶。
「誰かに疑われるって、こんなにも、心が壊れるものなの?」
何度言っても、誰に言っても、何を言っても!誰も信じてくれはしない。
必死になればなるほど、自分が惨めになっていく。
なにかどうにかすれば信じてもらえるんじゃないか、信じて!
そんな心が壊れていく・・。
ぼくはやっていないのに。疑われるはずなんてないのに。
神様なら知っているでしょ?ぼくはやっていないのに。ぼくだって知ってるのに!
事実は明白なのに!明らかなことなのに!!
どうして誰も、1人も信じてくれないの?ぼくを疑うの?
言動が怪しいとか、ウソをついてるとか、目つきがおかしいとか、有る事無い事言われて、
一生懸命言えば、きっと誰か1人ぐらいは、僕のことをまともに聴いてくれると信じてたんだ・・。
・・・ぼくは、そこまで、誰も信じてもらえないほどのことを過去にした?
ぼくは、これほどまで、ここに必要のない、信じるに値しない天使だった?
ぼくは・・・!ぼくは・・・・ぼくは・・・・・・・。
「・・・・・・・・・・ぼくが・・・・やりました。」

−拒絶の記憶。
「いやっ!こないでっ!!」
さっきまで普通に楽しくお喋りしてた天使が、僕だけに見せる、青ざめた表情。
その豹変ぷりに、ぼくは恐ろしさを感じていた。
僕だけに、そう、僕だけに。
僕は拒絶されていた。あの目つきが忘れられない。
瞳いっぱいに広がる恐怖と嫌悪の感情。ぼくはそこまで、嫌な存在だったの?
ぼくは君を傷つけたことなんて一度もないのに?
ぼくは拒絶される度に、ぼくの醜さを確信して行くんだ・・・。
僕の中の、僕という存在が、どんどんどんどん、醜さを増していく。
最後にはきっと、誰からも直視できないような大きな怪物になるんだ。


・・・そうさ、ぼくは害しかもたらさない。
だからこんなに、恐れられ、嫌がられ、唾を吐きかけられて来たんだ。
なら望み通りのものになってやる。ああそうだよ、もう、我慢することなんて無いんだ。
頑張って頑張って善なる天使を演じてきた結果、誰からも捨てられたんじゃないか!
ならばなってやる、もうぼくを阻むものなんてどこにも無いんだから!
ウゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ・・・・!!!!!!!!

拒絶、冤罪、否定、無視、暴行、拷問、恥辱、激苦・・・・・・・悪。

たくさんの、たくさんの夥しい悪の記憶。何千、何万、何億・・ずっとずっと溜め込んできた負の記憶。
負の感情。天使で居るときはずっと封じ込めてきた本当のもう一人のヴァイオレット。
負の感情たちは阻むものを失って荒れ狂うようにヴァイオレットから轟々と吹き出てくる。
あまりの強く、低い振動で辺りの地面がひび割れ始めた。

ぼくはずっと悲しかった。誰かに本当の僕のことを見て欲しかった。認めて欲しかった。
ただ一度だけでいい、ぼくのことを、ぼくの存在を肯定して欲しかった。
だから頑張ってきたんだぞ、こんな激苦に耐えてナァ!!よくもよくもよくも!!!!!
よくもよくもよくもよくも今まで僕にここまでの酷い仕打ちをしてきたナァ!!!!
悪魔は俺じゃない。お前たちの方だァぁああああ!!!!!!
俺が今から、お前たち全員、成敗してくれる。願っても、願っても、俺に絶望しか齎さなかったこの世界も、
神にも、全てに俺の憎しみと怒りを、屈辱を、どれだけの激痛を耐え抜いてきたのかを、
この暴行と虐待と理不尽さを、全てを味わわせてやるゥゥゥゥウウウウウウ!!!!!!!!!!!!!

只ならぬ負の集結の中、大きな大きな悪魔が誕生しようとしていました。
彼の中の悲しみと、希望と、信頼の強さが、そのまま絶望へと跳ね返り、
彼の耐え抜いてきた強さが、そのまま負へと逆転してしまった瞬間でした。
彼は強い存在でした。大きな大きな光でした。
半天使の身で有りながら、ここまで悪魔を打ち消し、天使でいられたことは、
常人の成せる技ではございません。
そう、全ては、彼の強さの表れなのです。彼は、よく、耐え抜きました。
彼はこれほどまでの負を溜め込みながら、これほどまでの常軌を逸した扱いを受けながら、
それでも天使で居続けることを選んできたのです。
希望を、手放さなかった。信じていたのです。何かを。奇跡を。

ここまでの負を、よくぞ溜めこんで、生きてきましたね。ヴァイオレット。



何か小さく柔らかな光が、そっと、ヴァイオレットに、触れた気がした。
―――――その瞬間。
「いたわ!あれよ!」
大勢のの天使たちがヴァイオレットを一気に取り囲む。
遠くのほうで、ローザとダンテの姿も見えた気がした。

天使たちが一斉にヴァイオレットに光を放つ!
「ヴアァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
・・・この痛み、覚えがある。
・・・そう、よく知ってる痛み。ずっと僕が耐え続けてきた、天使で居るための悪魔の封印作業。
よくも、よくもこんなことを僕にずっとしてきたな!!!!!!!!!
この痛みがお前たちにわかるのか!?一度でも味わったことがあるかァ!!!!
どれだけの激痛に耐えてきたのか、お前たちに、返してやろう。
俺のされてきたこと全部、お前たちに与えてやるゥゥゥゥゥゥウゥウウ!!!!!!!!


それから、ぼくは、何が起こったのか、全く覚えていない。
・・・・思い出してはいけない。とても、すごいことをした。ひどいことをした。
・・・人殺しどころではないことをした。
うんよく知ってる。ぼくは悪魔になったんだからね。
ぼくはそのとき、悪魔になるって、もう悪魔に自分を委ねるって、決めたんだ。
ううん・・・もう、諦めたんだ。天使でいる自分を。
天使を捨てたことは後悔してないよ。
ぼくが、これから天使たちに処刑されることになっても。
だって、はじめて自分でいられた気がしたんだ。
はじめて自分が思っていることを外に出せたんだ。
自分がされてきたことを、みんなにわからせてやりたかった。
どれだけ辛かったか、苦しかったか、どんな想いで生まれてから今までを耐えて耐えて耐えて来たのかってことを。
でも、ぼくは今、天使を失って、悪魔をもぎ取られて、今、何者でもない、存在になっちゃったんだ。
きっとこういうのをクズっていうんだ。
自分でよぉくわかるよ。
天使を捨てたことは何一つ後悔してない。自分をわかって欲しかったことも、負の感情に身を任せるしかなかったことも、後悔はしてない。
ただ・・・・どうしてだろう。ぼくがやってしまった出来事が、ぼくの記憶から離れない。
・・・怖いんだ。怖い。大勢の大勢の天使たちが八つ裂きになって、でも大勢の天使たちによって
ぼくの悪魔がもぎ取られて。僕の中に、聖も負も無くなった。
初めはザマァ見ろ!!と歓喜したのに。
どうして・・・・どうしてこんなにこわいんだろう。
ぼくは何をしたんだろう。何をしたかわかりたくないよ。
ぼくが傷つけられた分だけ、天使たちも傷ついたかな。ぼくの痛みをわかってくれた?
でも・・・でも・・・わかってくれたかどうか、もうわからない。
だれか1人でもいい、ぼくの存在を肯定して欲しかっただけなのに、何で・・・・・

「・・・・・何でこんなことになっちゃったの?」



アスタネイトの前に、ダンテが歩み寄る。
「奴を、人間にしてください。」
「それは謹慎中のお前が決めることか?」
アスタネイトは冷たく答えた。
ダンテは永凍宮に入ったことがバレてその後謹慎処分を言い渡されていた。
天界の目を掻い潜ることは至難の業だということはダンテもよくわかっていた。
だからこそ一つ解せなかったことは、本の読解に関して何一つ問われなかったことだ。
あれだけの大掛かりの歌魔法での解除呪文。そして消えたりんごとアーシャ。
ダンテには不可解なことだらけだった。不可解なことといえば、それだけにとどまりはしない。
ルーミネイトも行方知れず。死神と名乗ったレナシーのことも、彼女の意図も存在も全くが謎に包まれている。
ダンテはとりあえず、大人しくしているしかなかった。それが、ダンテの再起を図るには一番の近道だったからだ。
・・・・なのに、予期もしなかった大事件がまたもやダンテを襲ったのだ。
ヴァイオレットが悪魔になり、辺り一面惨状と化した。
奴にはなるべく大人しくしていろと普段から口を酸っぱくして言いつけておいたはず。
それが、天界でいるためには最善のこと。なのに、なぜ、奴はそれを放棄したのか。
自ら全てをぶち壊したのか。

・・・正直、兄であるヴァイオレットの存在に、ダンテはウンザリすることも多かった。
ダンテは容姿も申し分ない天使らしい天使だった。
美しい羽と、金に輝く髪。青い澄んだ空のような瞳。知性もあり、天界でも大いに必要とされている。
その彼の、唯一の汚点。それがヴァイオレットに他ならない。
彼にとってもっとも疎ましい、影。隠したいもの。自分の穢れ無き美しさや誇りを汚し、ずるずると引きずり回す。
それが兄である半天使ヴァイオレットという存在だ。
だから、天界にいる兄は疎ましい。天界で天使として生きる兄の姿は、ダンテにとって日常的に辱めを受けるものでしかない。
兄を堕天させようと、色々仕組んだこともあった。でもヴァイオレットは折れなかった。
むちゃくちゃに傷つけられても、その都度、立ち上がっていった。
段々と、ダンテの中でどこかでヴァイオレットのことを誇らしく思える感情が芽生えていたのかもしれない。
こいつはすごい・・・そう、こころのどこかで、思っていた部分があったからこそ、
今、ダンテはアスタネイトに、こんなことを進言している。

「今、天界は、奴に構っている暇など無いはずです。天使が何人も姿を消しているんです。」
「だから、彼を人間にしろと?処罰せずに?」
フッ・・・と口元が緩んでアスタネイトはこう続けた。
「以前君はこう言っていなかったか。ヴァイオレットは兄ではない。兄弟だと考えたことはない、と。」
「俺は純粋に優先すべき事柄の大小を述べたまで。奴を兄と思ったことはありません。」
冷たい口調で冷静に言い返すダンテ。
「ま、この問題は、謹慎中の君の意見で揺らぐものではないからな。」
そう言い放たれ、為す術が無くなったダンテは一瞬、目を細め眉を顰めて、口惜しそうな表情を見せた。




「ハァァーーーーーーーーーーーー・・・・・・。」
人一倍長〜いため息をついたかと思うと、ノルディはそのへんに浮いていた光の粒にデコピンした。
「な〜〜〜〜〜んでこうなっちゃうかな????」
ヴァイオレットの起こした事件については、事が事だっただけに、ノルディの耳にもすぐに入っていた。
彼女はヴァイオレットにイラつきながらも、心の何処かでピシっと前を向いた天使にさせたいと、そう願っていた部分があったのかもしれない。
どこかで彼をもっと良い天使にしてやろうと気負っていた。
それなのに・・・、彼女の意気込みは見事に空振りとなった。
それどころか、ヴァイオレットは、今天使ですら無くなってしまった。
ノルディの中は今、遣る瀬無さでいっぱいだった。
一連の天界の大事件に続き、ヴァイオレットが悪魔化までした。
心穏やかでいられる時がここ最近まったく訪れる気配がない。
「天界ってこんなに、騒がしいところだっけ?」
そうノルディは一人で呟いてみた。

天界といえば、悪魔と戦争を繰り広げていた時代もあったが、
ここしばらくは落ち着きを取り戻し、天使たちが歌い、舞い、笑い声や喜びに満ちていたのが
いつもの天界ではなかっただろうか。
いつもキラキラと、生き生きしている、白く目映く、笑顔で溢れかえっている。
楽しいことがいっぱいで、穏やかさで満ち満ちて、それが天界という場所の本来の姿だろう。



天界は、どこかで、何かを落として来てしまった。
そしてその結果、こんな大事件がまた発生するようになってしまった。
天界も、天使も、人も、悪魔も、何かを探しながら、何かを求めながら、ここにいま、存在している。

人間界では何日もの間、雨が降っては止み、降っては止みが繰り返された。
そんな中、ヴァイオレットの処置が決まった。
重要な部分の記憶を消去。取り分け悪魔化に至った部分の負の記憶を抹消のうえ、人間界への追放が決定した。

ヴァイオレットは最後の力と、最後の感情とを天使たちに奪われて、カラになった人形のような状態で、
人間界に突き落とされた。


ヴァイオレットは、人が住まなくなったオンボロ小屋の一番くらいところで打ち震えていた。
何か、記憶は茫漠としているのに、深い深い拭い去りようのない罪の意識が大きな傷となってヴァイオレットの中に残っていた。
何日か経って、誰かがオンボロ小屋の中へと踏み入れてきた。
ゆっくりと、一歩ずつ前へと踏み進めて、その人物はヴァイオレットとの距離を縮めたその瞬間。
ガチャン!!物が割れる音によって辺りの静寂が瞬時に破られる。
ウワァアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!!!!!
ヴァイオレットは暴れていた。部屋にあったたくさんの物を投げ、侵入者を追い払おうと必死だった。
ヴァイオレットの人間にされた体は全身やせ細り黒ずんで、乾いた棒っきれのようだった。
「・・・すみません。」
暴れるヴァイオレットとすこし距離をおいた場所で、誰かの声が聞こえた。
「・・・・・すみません。急にいなくなってしまいました。
・・・・すみません・・・・。そのことが、これほどまでに、貴方を苦しめたということなのですか。」
小さいけれど、強い、意志の感じられる声。懐かしい。あの、ごんべえの声。
ヴァイオレットのものを投げる手はぴたりと止まった。でもその両手は未だに、小刻みに震えている。
「すみません。弁明の余地は無いでしょうが、ある方に呼ばれて、少し貴方の元を離れていただけなのです。
その方も貴方のように大変な事態でしたので、貴方が休息をとっている間だけ離れるつもりが、長引いてしまったのです。」
記憶が曖昧なヴァイオレットは、何のことが意味がわからず、ただただ打ち震えている。耳だけは欹てながら。
ごんべえはヴァイオレットとの距離をもう少しだけ縮めて、彼にこう放った。

「もう一度、生き直しませんか?」

ヴァイオレットは、静かに、むっくりと顔を上げた。挙動は不自然なままだが、僅かな静寂さが顔に戻っていた。
ヴァイオレットはごんべえの方を直視できなかったが、彼が差し出した大きな手のひらを真剣な眼差しで見つめていた。

・・・そこから半年の月日の間、ごんべえは根気よく、ヴァイオレットの元へ通い続けた。
人となったヴァイオレットに食べることを促し、食料を渡したりした。
このまま放っておいたら、彼はきっと、何も食べずに餓死してしまうだろう。そんな確信がごんべえの中であったからだ。

ヴァイオレットはもはや人間ですらなく、猛獣のようだった。
恐怖から来るものだろうか、絶望がそうさせるのだろうか、それとも過去に犯した罪の重さに対する苦しみなのか、彼はよくそこら中のものを破壊しつくしていた。
そのうえ、彼の体はどこも引っかき傷でいっぱいだった。よほど足掻いて苦しんだのだろうということが、痛々しく伝わってきた。
ごんべえはその時はまだヴァイオレットに近づくことすら出来なかった。
彼はまだ世界全てを、自分を拒絶していた。
人ならざる呻き声や叫び声を辺りに響かせ、苦しみもがいていた。
ごんべえはその一部始終を、だまって、ただ見つめることしか出来なかった。

ヴァイオレットは誰にも心を開いてはいなかった。
きっと彼の苦しみは、世界をまるごと、破滅させるような壮絶なものだと見ていてすぐにわかる。
そしてそれは、誰にも、誰の手でも救うことは叶わないのだと、その虚しさをごんべえは腹の中で膨らませていた。
あるとき、ヴァイオレットの髪色が変化し、髪が抜け始めた。
紫色の髪は真っ赤に染まり、そして色素が抜けて、髪が抜けていく。
自分で引っ掻いた傷が頭にもあり、髪が毟られた跡もある。
ごんべえはこの惨状にあまりに心を痛めていたが、どうすることも出来なかった。
ごんべえが近づこうとすると、ヴァイオレットは必死で抵抗するのだ。
それ以上近づこうものなら、ヴァイオレットはごんべえを殺す勢いだった。
それ程にヴァイオレットは何かを怖がっていたのだ。自分自身をも怖がっていた。
そして苦しくて苦しくてしょうが無い。始終そんな表情を見せていた。

彼は、ヴァイオレットは、食べ物を腹に入れられたとしても、いつか死んでしまうかもしれない。
ごんべえはそう感じていた。
ヴァイオレットの本当の絶望など、本当の苦しみなど、誰にもわかるはずはなかった。
ただ彼が発する壮絶な阿鼻叫喚を見て、どれほどの地獄に囚われ続けているのか、それがどれほどの苦しみを伴うものなのかを、想像することしか出来はしない。


時折天界の秩序に属さない精霊や天使たちが、ヴァイオレットに治癒の光を届けようとしていた。
しかし、せっかく届けられようとした光も、彼が全てを拒絶しているせいで、彼の中に入ることはない。
彼が癒やされることもなかった。


・・・・ある日、とうとう、彼は動かなくなった。
食事もしなくなった。暴れることもなくなった。体の震えも収まっている。
薄汚れた傷だらけの骨のような腕が、力なく冷たい廃屋の床の上にある。
肌は黒ずんで生気が感じられない。
これ以上はお手上げだった。もう誰にも、どうすることも出来なかった。
もしかしたら彼にとっては、死が、完全なる死、消滅こそが、彼にとっての一番の安らぎかもしれない。
彼が送った半年間は、死よりもずっと、悍ましく痛々しく絶叫するものだっただろう。
彼は、とうとう、その全てから開放・・・・・・されることはないのだ。
彼が人間の状態で死すれば、彼は地獄の牢獄で永遠にこの状態を反芻することになる。
真に終わらない地獄が彼を苦しめ、彼が新たな地獄世界を生むことになる。
なんとこの世界は惨たらしく出来ているのだろう。
ヴァイオレットが永遠に救われることはないのだ。
彼はこの地獄の苦しみを、日々全身を八つ裂きにされるような激苦を永久に味わわされ続ける。

・・・誰によって?

・・・そう、自分自身によって。


ヴァイオレットはとうとう死んだ。死んでも消えない苦しみに絶望した。死んでも消えない自分の存在で世界中を呪った。
そして・・・・多くの惨たらしい自分の記憶を、傷つけられてきた想いを、世界中の存在に共有しようとした。
彼は苦しんだり、呪ったりしながら、世界に地獄を広げていった。
彼は、ただただ苦しかった。本当は、わかってほしかった。本当は、誰かが救って欲しかった。
ただそれだけだったと思う。本当の心はただそれだけだった。
でも罪が彼を深い深い落とし穴へと閉じ込めた。罪が彼を苦しめた。彼はもう自分が何なのかわからなくなっていた。


「だれか、この拷問の日々を終わらせてくれ。神様がいるならこのぼくを完全に抹消してくれ。
・・・仲間が欲しい。ぼくの激苦をわかってほしい。どんな苦しみなのか、痛みなのか。きっと誰にもわからない。
ぼくがどれほど傷つき、絶望し、それでも生きてきたかなんて‥…。
どんなに・・・どんなに苦しかったか・・・・。
全ての生き物にこの苦しみをわからせてやる・・・・。」

この無限のループこそが、地獄界を育んでいく。悪魔がなくならない理由。
最初に全てに絶望し、怒りと憎悪が爆発したヴァイオレットは、大きな大きな罪を犯し、その罪こそが、彼を更なる地獄へと落とし込んだ。
そしてその地獄こそが彼を悪魔へとさらに変貌させ、そして彼は更なる罪を犯さざるを得なくなっていく。
誰も救えず、誰も止めることが出来ない。
そして彼自信が一番、誰よりも苦しんでいるのだ。
それを見て喜んでいるのは悪魔どもだけだ。お仲間が増えたのだから。痛みをわかってくれる、大切なお仲間が。

彼は、彼自身の罪の意識によって、自身を縛り付けて、無限地獄へと落とし込めていってしまった。
もう誰も救うことが出来ない無限地獄。そしてあまりの苦しさにまた罪を大きくしてしまう。
憎悪が、どんどん大きくなっていく。絶望を世界へ撒き散らし拡大させる。

半天使は、大きな大きな、悪魔の子へと変貌を遂げた。

彼はもう、自分自身では到底救えないところまで、悪を、罪を、拡大させすぎていた。
抜けだそうと足掻いたって、反作用でより深いところへと落ちてしまう。そう蟻地獄のように。

深い絶望から始まって、自分自身を救えなかった、もとはとても可哀想な存在。
その存在が深く傷つき、苦しみ、足掻く過程で、或いは絶望しきった瞬間に、さらに大きな罪を増やしていく。
周りも自分と同じ八つ裂きにされて転げまわる激痛を味わって欲しい。同じ目に遭うべきだ。
もはや周りなんてどうでもいい。お前たちが僕をこうさせたんだ。ただ僕は苦しいんだ!
・・・色んな想いで、罪をどんどん増やしていく。そして自分の犯した罪は、自分をどんどん救えないところへと、縛って、追いやって、無限地獄へと引きずり込んでいく。
そう他の誰でもない自分自身が。


世界はとてつもなくむごたらしい。そして非情で冷徹で理不尽。



世界に、魔王が、生まれた。




魔王、ヴァイオレット。




魔王はこうして生まれていくのだ。地獄は、魔界はどんどんこうして広がっていく。
天使がどれだけ止めようとしても、癒やそうとしても、本人が拒絶すればそれは1粒たりとも届かない。
拒絶するつもりなんてなくても、絶望と深い悲しみに覆われると、その大きな負の感情が、治癒と救いの光をシャットアウトする。
魔王ヴァイオレットが誕生する過程で、多くの天使と悪魔の戦いが起こった。
天使は彼に光を送ったり、彼をなんとか消滅させようとした。でも多くの悪魔によってそれが阻まれてしまった。

神はどうして来ないのだろう。この一部始終をみてどう思っているのだろう。
創造主が神なのだとしたら、どうして神はこんな惨状をこんな世界をこんな秩序を自らの手で作ったのか。


天界の一斉攻撃が、魔界に向けて放たれた。こんな大掛かりな天使と悪魔の戦いは、2000年以降では久しぶりだった。
初期の段階の大きな魔王をなるべく早い段階で倒す必要があった。
魔王という存在が1つ生まれるだけで、それは天界にとって大きな脅威になるからだ。

うんざりする程の怒号のような戦闘でうんざりするくらいの墓場が出来上がっていった。

初代魔王はこの状況を良しとしていなかった。
彼は多くの月日をこんな中で過ごしていた。
初めは彼も暴れ狂う猛獣で、世界が破滅すれば良いと思っていたし、何度か世界を破滅させたこともあった。
その度に多くの、多すぎる血と涙と、絶望が世界に撒き散らされた。
魔界はどんどん大きくなっていったが、何度も何度も何度も・・・うんざりするくらいこの惨状を繰り返していき、ある時彼は、何か虚しさのようなものを覚えた。
こんな世界を誰よりも望んでいたはずの彼も、多くの月日、同じようなことを繰り返してきた彼は、いつしか今までの彼よりも視界が広くなっていた。
彼はどうして神が存在するのか、世界がどうしてこの秩序なのか、その大きな大きな意味。想い。そしてあらゆる宇宙に存在する秩序。あらゆる存在。心。
そんなものの真の意味を、薄々分かり始めていた。

何かが彼には見えていた。何かが見え始めると怒涛に流れ繰り返されてきたこの凄惨な悲劇もとどまりを見せていった。

夜明けの時は、近づいていた。人間界にして2006年の出来事だった。


1つの魔王がようやく、たくさんの絶望と、罪と、苦しみと、憎しみと、あらゆる負の連鎖の末
・・・・・・昇華された。


それは地球では初めての出来事だった。

世界は大きく揺れ動いた。魔界中に震撼が走った。

初代魔王は大きな大きな負を背負った、大きな大きな存在だった。
彼が魔王でなくなるということは、世界中を苦しめ続けていた大きな大きなマイナスのエネルギーが0点へと戻り、やがてプラスへと変わっていく瞬間。
それは大きな大陸が地上の人々や多くの命を引き連れて突然上昇するかの如く、多くの存在を巻き込むものとなった。
彼が魔王となった時、多くの存在を地獄へと貶めたのと同じようにして。
地球の状況は大きく変化を見せた。
多くのものがその大変動を目の当たりにして呆然としていた。


それはいわば、魔王が神へと昇華される大きな、誰もが信じられないような出来事だった。


あの数千年に起こった大事件によって、魔王ヴァイオレットにも一筋の光が当てられた。
魔界全体が世紀の大変動による影響を受けていた。魔界と天界のパワーバランスは逆転しつつあった。
長年不利だった天界の情勢が一気に有利に傾いた。

今でも魔界は確実に存在するが、その力は確実に、弱まりを見せている。
やがて魔界は残骸となり、亡霊のようになり、やがて薄くなって消えていく。そう天使たちは確信していた。


しかし・・・そこから始まった魔界側の猛攻撃は凄まじいものだった。
多くの人間を巻き添えにして、実に多くの人間たちを魔界側へと引き摺り降ろした。
悪魔たちの猛攻撃によって、魔界側は一定の力を留めたまま、それ以上弱まりを見せることはなかった。
人間界に悲劇を撒き散らた一連の悪魔たちの暴挙を天界側は止めることが出来なかった。
悪魔たちの本気を、ここにきて思い知らされたのだった。

絶望の中で死んでいった多くの人間たちを、天使たちは天界側へ引き上げられないでいた。
天界側へ行くことが出来ず、天使の助けも届かない彼らは亡霊と呼ばれ、人間界に冥界を作るのだ。
そして冥界にいる死した人間たちは悪魔どもの格好の餌食となった。悪魔にとって最も手出ししやすい存在が彼らなのだ。悪魔は人間が死んだ、なりそこないの彼らをこき使って生きた人間たちを唆し、悪さをさせて、そして魔界側へと引きこもうと日々奮闘している。
生きた人間たちが発する負の感情が彼らにとっては必要不可欠な力の源であり、最大級の栄養源なのだ。
殺し合いなんて最も甘いスイーツ。悪魔は人間たちが殺し合うのが大好きだ。
最も効率的に負のエネルギーを拡散出来るからだ。それによって悪魔たちは大きな力を得られる。
悪魔たちは自分たちの勢力拡大のため、魔界を少しでも人間界へと広げて侵食させていくために、時折戦争を起こさせる。
殺し合いの骨頂、それこそが戦争なのだ。それによって多くの人に最も効率的に、負の感情をばら撒ける。
肉親が死んだ時の絶望と怒りと悲しみは凄まじいもので、また戦いで生き残ったとしても、罪の意識に苦しめられる。深すぎる傷を、全ての人間に負わせることが出来る。そしてひとたび戦争を起こせれば、その戦いの深い深い傷跡で、人間たちは一生を通して苦しんでくれるのだから、悪魔たちにとって戦争は最大の天界への武器である。

戦争という悪魔たちの最大の武器によって、多くの惑星が滅んでいった・・・・。
そして今また、1つの惑星が、遠くの宇宙で滅び去った。
惑星の住人は最後には疑心暗鬼に陥り、誰を信じたらいいのかわからない。完全に悪魔たちの手中に嵌っていた。
エゴの末滅んだ星も数多くあった。宗教戦争によって滅んだ星も・・・。
自分たちは、自分たちこそが正しいと信じていた。彼らは自分と違うもの、相容れないものを、到底受け入れることが出来なかった。心が狭くなていた。信じきっていた。思い込んでいた。それはエゴだった・・・。

遥か彼方の宇宙。遠くの宇宙でまた惑星が滅びようとしている。
住人がエゴと脅しと自分たちの戦略の為に作った大掛かりな装置が惑星中に埋め込まれていて、それが作動するのは秒読みだった。
彼らは自分たちで知らず知らずに滅びを選択していた。
自分さえ良ければいいのだ。他人など、どうなろうと知ったことか。そんな考えが、巡り巡って自分の首を絞める事など、自分しか見えていない彼らにはまだ到底わかるはずもなかったのだ。

ゼロは走っていた。最後まで、惑星に埋め込まれた大掛かりな装置を止めようと必死に駆けずり回っていた。
色んなところをまわって、色んな住人に話を聞いた。最後に、地底深くにある機械装置の本体まで辿り着いた。
・・・でも。

星は爆発した。誰も止められなかった。ゼロが世界をまわっていた時ですらもう、全ての住人が諦めていた。
世界は滅びるんだと、住人までもが疑いなく思っていて、誰もそれを止めようとはしなかった。止められるはずもないと思っていた。

あと数秒あれば、どうにかなったのだろうか。あと数秒あれば・・・。
ゼロは宇宙を漂い、そして、ここに流れ着いた。
この地球天界、ティラ・イストーナ・セルミューネへと・・・・。

彼は救いたかった。彼の惑星を。救えなかった・・・。もうこんな悲劇は、二度と御免だった。
教訓を他の星に生かしたかった。彼は地球を手助けしようと決めたのだった。
彼は惑星の名前のリンドルのRを取り、R0、アール・ゼロと名乗った。

今、閉じていた地球の天界の扉は、僅かに開き始めている。
そこから少しずつ、外の者が出入りをしはじめていた。

そして遥か遠くから、この天界へとたどり着く者もいた。
R0も外来天界住人の一人となった。
R0は、この地球こそは滅ぼさせないという決意でいっぱいだった。

R0は他の惑星の知識や技術を携えてこちらに来ていた。
そして彼の考え方や発想は地球のものとは全く違っっていた。
故に彼はこの地球天界では大変珍しく貴重な存在となった。

彼は経験豊かな先輩天使として天界で迎えられることとなった。ただし天界の組織には属さなかった。
歌天使のりんごと同じで、外部から来た者は地球天界の組織には属さない者が多いのも事実。
あくまで臨時講師や臨時的な助っ人といった立ち位置を守っていた。
しかし協力できることは惜しまないといった姿勢がR0には随所に見られ、天界で大いに活躍し信頼を得て行った。







「私と、もう一度、"生き直し"ませんか....」

繰り返し、木霊する声。どこかで聴いた、柔和な声。懐かしさで涙が零れそうな。安堵の声。
小さな男の子は、ゆっくりと、目を開けてみた。
真っ白で何もない空間。自分は何者で、何をしようとしていたのか。何もかもぼんやりしている。

「続けますか?それとも、他の場所へ生きますか?」

凛とした声が聞こえた。女性の声。
続けるって・・どういうことだろう。他の場所へ生きる・・・行く?
その瞬間ふっと底知れぬ闇が、闇という闇が、一番見たくないものが全面に溢れた。
悍ましいもの。汚くて汚くて、この世で、この宇宙でいちばん醜いものがいるとしたら、目の前のそれだろう。と、ぼくは確信した。
それは、「僕自身」だった。
なんだこの怪物は。狂気じみていて、気持ち悪い。奈落の果てに落っこちた自分。
悲しくて、惨めで、憎くて憎くて仕方がない、蔑まれて意地汚くて、捻じ曲がっていて、救いようがない化け物。
怖くて悍ましくて今すぐ消してしまいたい!全部見なかったことにしたい!何もかも無くなって消えてしまえば良い!!
ぼくはこんな結末望んでいなかった!!!!!

少年は叫んでいた。無我夢中で掻き消そうとした。逃げに逃げた。
悲しみが溢れかえっていた。もうどうしようもできない、自分ではどうすることも出来ないくらいに、
その『悪』は膨れ上がりすぎていた。

「たす・・けて・・・・・・・・。・・・・たすけて、たすけてたすけて・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・助けて―――――ッ!!!!!」

少年はついに叫んだ。心からの、最後の叫びだった。最後に残された善意のカケラ、理性のカケラ。
化け物にならなかった部分からの、最後の悲痛な叫びが世界中に響き渡った。


「続けますか?それとも、他の場所へ生きますか?」


またこの声が聞こえた。
続けるって・・・?この地獄の世界を?他の場所へ行く・・ことだって出来るの・・?

ぼくは・・・ぼくはこんな結末望んでない・・・!!変えて、変えて欲しい。
ぼくが幸せになれる未来に。
ぼくはちゃんと、誰かから愛されたい。
誰かに自分のことを、ありのまま、見て欲しい。ぼくは、このままこんな化け物でいるなんて嫌だ!!


・・・そう思った瞬間、少年の周りの景色が一変した。ぼんやりした心のなかの世界から、はっきりと何か景色が見えてきた。
「・・・・やあ。珍しいお客さんだ。いつぶりかな?」
・・・うん?聞き覚えがある・・・すごく、覚えがある声だ。

少年は振り返ってみた。
そこには、見慣れた長い髪、波打った金の柔らかい髪。そして天空を思わせるどこまでも澄んだ青い瞳。
「ルーミネイト・・・さま・・」
「やあ、久しぶり、ヴァイオレット。」
「どうしてここに?あれ、ぼくどうしてここにいるんだろ…」
ルーミネイトはふわふわ舞う青色の光をひとつ手に包み、白い光に変えてみせた。
「君は、休息を取りに来たんじゃないかな。一旦。」
「え?休息?ぼくは一体どうなっちゃったんですか?」
状況が全く飲み込めないヴァイオレット。
「現実は現実なようで、夢かもしれない。夢は単なる夢じゃなくて、こっちの方が現実なのかもしれない。」
よくわからないことを言われ、ヴァイオレットは戸惑う。
「今を大切にすれば、現実も変わる。例えここが夢だとしてもね。」
ヴァイオレットには状況が全く掴めない。
ヴァイオレットはルーミネイトと2、3言葉を交わした後、一番恐れていることをおずおずときいてみた。
「ぼくは・・・・本当に魔王になっちゃったんですか・・???」
「君が望めばそれは続く、望まないのならば、君がそれを変えればいい。」
「か・・・・変える!!?・・・・どうやって・・・・?」
ぼくにこれ以上どうしろと言うんだ。ぼくだって、好きで魔王なんかになったんじゃないんだ。
ただ、もう、苦しくて、どうにもならなかった。自分でもどうしようも出来なかったんだ。
そんなぼくに・・・・・どうやって・・・・・変えろって・・・・そんな・・簡単に・・・・!

「顔がくしゃくしゃだよヴァイオレット。天使ヴァイオレット。」
「ぼくはもう天使なんかじゃない魔王なんだ!天使なんてもうカケラも残ってやしない!」
「そうかな・・・・?じゃあなんで君はここにきたの?」
「え・・・・・」

意表を突かれた。それはヴァイオレットにとって、とても鋭い質問だった。

なぜ、ぼくが、ここに来たか・・・・?

・・・・そんなの・・・。

「ぼくは、助かりたいんです・・・!
ルーミネイト様、ぼくを・・・助けてください・・・・!!!!!!」

ルーミネイト様は一呼吸おいてから目線を落とした。

「ヴァイオレット、残念だがそれは無理だよ。私は、君を助けることは出来ない。
いいや、世界中の誰も、君をほんとうの意味で助けることは出来ないんだ。」

な・・・・んだよ、その、突き放した言い方。ぼくがどれだけ・・・・どんな想いでこれまで過ごしてきたか…。
ルーミネイト様にはわからないんだ・・・・。
ぼくの最後の望みだったんだ。誰かに助けて欲しいって。
どうすることも出来ないって・・・・助けられないって・・・・なんだよそれじゃあ。

「ルーミネイト様は天使なんでしょう!?どうして助けられないんですか!
ぼくを助けてください!ぼくこのままじゃ…」
「ヴァイオレット。」
ルーミネイトが低い声でそれを抑止した。まっすぐ、ヴァイオレットの方を向いて。

「君は最初に決断するだけでいい。君が、自分自身を救うんだと。
その決断が君の中の化け物に一筋の光を通すことが出来る。私達が手助け出来るのはそこからなんだ。」

「・・・・いやだ。・・・・無理です。ぼくにどうしろって言うんです。ぼくもう何もかも嫌なんです。
もう何も見たくない。このまま消えたほうがマシだ。これ以上ぼくは何もやりたくない。
ルーミネイト様が助けられないのにぼくが・・・・ぼくには無理です・・・!!!!」

「・・・そう。」
ルーミネイトの目は少し悲しそうに見えた。でもすぐにいつものほんわりした眼差しに変わる。
「じゃあこれだけは覚えておくといい。いつでも決めるのは自分自身だよ。
君は自分の力でどんなことだって出来る。縛られていて何も出来ない。無力だと感じるのは幻想さ。」
「・・・・・・。」
ぼくには、そのルーミネイト様の言葉のほうが、幻想に聞こえる。
だってぼくは本当に無力で・・・その無能っぷりを、どんなに無力かっていうことを、辛酸を嘗めて思い知らされてきたんだから。

もういやなんだ。こんなの・・・。もういやだ。・・・・・何もかもやめにしたい。何もかも終わっちゃったんだ。
もういいじゃない。このままぼく、どこからも消えてしまおう。

そう思った瞬間、体中に激痛が走った。ここは・・・・悪夢の中、・・・違う。
ぼくは魔王ヴァイオレット。そう地獄の底の底の底。渦巻く悪。憎悪。世界中の負が寄り集まった最悪の場所。
一番苦しくて醜い場所。

それを感じた瞬間、全身でこう願った。

いやだ・・・・いやだいやだいやだいやだいやだぁああああああああああああああああっっっ!!!!!!!!
こんなのいやだ!こんな世界なんて望んでない!!こんなのちっとも楽しくない!ぼくはこんなところにいたくない!!
こんな世界変えてやる・・・・・・!!!!!!!


その叫びで突如辺りに渦巻いていた大きく巨大な悪が、魔界がヴァイオレットに寄せ集まって収縮を始めた。
その間も激痛はずっと続いた。憎しみも悲しみも怒りも止まらなかった。
収縮は一気には行われずに、彼の心が憎悪で満たされた瞬間また悪の塊が膨張を始めたりもした。
そんな収縮と膨張を繰り返しながら、長い長い時は流れ、そしてようやく・・・・・・。


「自分を見捨てたくない」


ヴァイオレットのそんな願いが・・・・天に届いたのかもしれない。

辺りに大きく膨れ上がって手が付けられなかった大きな悪のエネルギーはヴァイオレットの中に吸い込まれ、
大きな大きな化け物だったヴァイオレットは、ちいさな、ちょこんとした一人の少年の姿に戻っていた。



少年はボロボロだったが・・・どこかちょっとだけ晴れやかだった。
何か大きなものに勝った、そんな表情をしていた。
彼に少しだけ、自信が見て取れた。





「あ〜〜〜〜れ、なんだこのちびっちゃいの。まさかちんけな片羽ちゃんに戻っちゃったのォ〜!?」

すかさず嫌な声がした。すっごく会いたくない悪魔。
そうパトリだ。

「あ・・・・何ですか・・・・一番いやな時に・・・」
「ふふふ、そ〜〜〜ぉなんだ。ボクってば天才!?そんなピンチに駆けつけるだなんてなぁんて凄い悪魔!」
「・・・・ぼくもう帰ります。」
「帰る?帰るってどこへ?ちんけな片羽ちゃんを受け入れてくれるとこなんてどこにもないじゃ〜ん!」
一瞬パトリを睨みそうになって、我に返る。
いけないいけない。パトリはいつもこうやって誰かを唆して、悪の道に引きずり下ろすのが得意なんだから。

無視するのが一番利口なんだ。ぼくだって悪戯に魔界でフルボッコに遭ってきたわけじゃないんだから。

「あ?ムシ?ムシですか〜???」
ヴァイオレットの進行を阻むように、実にウザったく右から左、上に下へと割り込んでくるパトリ。
・・・正直かなりウザい。ヴァイオレットが苛ついてきてるのがわかったのか、パトリは上機嫌になって調子づいてきた。
「もう咆吼は終わり?あの激痛に喘ぐ声なかなかロマンチックだった〜♪いい子守唄んなったのにぃ。もっと聞・か・せ・て?」

ダメだ・・・・ダメなんだ。今、パトリの相手になっちゃ・・・・絶対にダメなんだ。
ぼくが放出したぼくの中の悪が、長い長い激痛と忍耐の末に、やっとぼくの中に収まってくれたんだ。
あんなのもう二度と繰り返したくない。だからパトリの声に耳を傾けちゃダメなんだ。
今でもまだ、あの憎悪や苦しみがとても身近に感じてしまう。
そう、思い返したらいつでも引きこまれて、引きずり下ろされて、あの化け物に・・・・魔王に戻ってしまいそうなんだ。
怖い。怖いんだ。
ぼくのすぐ横には、いつでもあのいちばん醜い自分が顔をのぞかせて待っている。
ぼくに、いつでも取って代わろうとしている。バケモノがぼくを支配しようと狙っている。
パトリなんかの小悪魔のせいであれだけの激痛を再び味わうなんてヤだ。絶対に。
早く帰らないと。帰らないと・・・・ごんべえの元へ・・・・・。



「・・・・んだよ。どうしちゃったんだァ?ちんけな薄汚いだけの小物にもどっちゃってサー。
本当の自分を認めなよ。」

無視され続けたパトリは、段々と口調が荒々しくなってきた。

「ほらこっち向け。」

パトリは悪魔の力でヴァイオレットを無理やり自分の方へ向かせた。


そして・・・・


「本当のお前は・・・・こぉんな姿をしてるんじゃないのか!」

ヴァイオレットが思わずパトリの瞳を覗いてしまったその瞬間・・・!

「いぎゃああああああああああああああああああああああああああッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

どうしようもないくらいの悲鳴とも怒号ともとれる獣の咆吼のような叫び声が辺りを揺さぶり動かす。

ヴァイオレットが急激に闇に包まれていく・・・。
彼はパトリの瞳に何を見たのか。パトリにはパトリだけにしか無い
深く、尖い「悪」がある。

ヴァイオレットのそれとは違う、深くて醜い悪が。ヴァイオレットはそれに共鳴してしまった。
思い出してしまった。パトリの中のあまりに深すぎる悪を見た瞬間、ヴァイオレットの抑制が・・・・外れた!


「あああああああああああああああああああああががががが・・・・あああああああああああ・・・・・
・・・・や・・・・・・・・・だ・・・・・・・いやだ・・・・・・・・・・・だれ・・・・・・・か・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・たすけて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「うっわ、これだけのもの見てまだんなこと言ってんの?いい加減観念しな!
何もかも終わりだ!」


パトリが往生際が悪いヴァイオレットを見て最後の一撃を放つためにパトリの悪を結集させる。

「・・・・・・これだけ集めれば奴も終わりだ。二度と正気になんて戻れやしない。

グハハハハハハハッッッ!!!!」

パトリの目はとても冷徹だった。自分を殺す時のように。誰かを殺すときのように。その殺害に、何のためらいもない。
一滴の人の血も通わない、何も感じない。彼は冷徹さという悪を持っていた。


「死ね。永遠に苦しみ続けて滅びていくんだ!!」


大きな大きなパトリの悪が放出され、足掻き続けるヴァイオレット目掛けて
その大きな悪のエネルギーは増幅しながらヴァイオレットにトドメの一撃を・・!




・・・・・・・!!!!!!





ビシッッ!!!!!!!




一瞬何か変な音がした。亀裂音のようなその音と一緒に辺りは白く光った。

「・・・・弱い者いじめに精が出るなァパトリ。」
パトリは何が起こったのかわからずキョロキョロして警戒していた。
異音が聞こえてから光が収まるまでの一瞬のうちに、咄嗟に結界を張りヴァイオレットから距離をおいて、
ちゃっかり遠くに避難してる辺りから、パトリの危機意識の高さ伺える。


「お前のその冷徹すぎる力は好きだぞ。究極まで絶望しきったからこそ出せる力か?
ハッハッハハハハ!!!!」


「・・・・・・・・・・・・。」
パトリは急にだんまりになった。そしてやはり結界を張ったまま距離を置いている。


「・・・・あんただれ。」
ぼそっと遠くでパトリがつぶやく。小さく屈んで、物陰からこちらを見ている。
めちゃくちゃ警戒しているのが見て取れる。



「我輩は魔王だ。」



「ウソ。ぼくここの魔界の魔王知ってるもん。お前みたいな弱っちい気配放ってない。」

「元、魔王だ。それと表面だけの気配で我輩の力量を判断してくれるなよ?」

「あっそ。でも・・今の魔王が来ればお前なんてイチコロだね。」

「今の魔王は我輩を殺せなかった。だから我輩がここにいるのだ。それがわからんかな?」

「・・・ハァ!?そんなはず・・・・、あっ、何か小狡い手を使ったんだね。あんた知能犯?」

「フッハハハハハ!まあ好きに想像するがいい。こいつは貰って行くぞ。」

「え?あ・・・ちょっ・・・・・!」


魔王、と名乗った男はヴァイオレットを片手でひょいっと持ち上げた後、すぐさまどこかへ飛んでいってしまった。
パトリは一瞬追いかけようとしてすぐさま立ち止まった。力の差を察知したのだろうか。
パトリはとても恨ましい目で2人を睨みつけながら、口惜しそうに2つの点が遠ざかっていくのを眺めているしかなかった。






仄かに光る色とりどりの角砂糖。
紫、赤、青、ゆらゆらと揺れて天井でダンスする。
怪しくて妖艶な雰囲気ただよう場所。くらくらして、飲み込まれてしまいそう。
壁で蠢くゴーストたち。ギャラギャラと木霊する笑い声。
ヴァイオレットはぼんやりした心地で眠っていたのを、突然やってきた静寂によって起こされた。

「いらっしゃーい。」
静寂とともに男の姿をした悪魔がやってきて、ニタリと怪しく微笑んだ。
赤い髪をしたその悪魔は全身に魔を封じ込めた黒い布を巻きつけていた。
この黒布は封印なのか、それとも絶大なる力を引き出すための魔道具なのかはわからない。
がっしりした男らしい体格、それでいて足元はスラっとしている。
その悪魔が放つどっしりと重々しく揺るぎ無い雰囲気から、中〜上級悪魔なのだと推測できる。
手には悪魔が使う魔具を持ち、すっとヴァイオレットとの距離を縮めた。

「自分自身を見捨てた感想はどう?」

男が突然そう呟いた。風のように軽く、ちょっとキザな声。
しばらく待っても返事がない。ヴァイオレットは押し黙って男のほうを見ようともしない。
沈黙が流れ続けた。男は両肩を竦ませ、やれやれ、といった態度をとって奥の方へ戻っていった。
奥のほうで声が聞こえる、さっきの男と誰かが話しているようだった。
ヴァイオレットには言葉も紡ぐ気力が持てなかった。
しかもやっと自分の暴走を止められた矢先にそんな不躾なことを訊くだなんて・・。

次の瞬間、一瞬にして気配が変わった。紫色だった空間が、
一瞬にして黄色い渦に呑まれるような、そのくらいの変化だ。
ヴァイオレットは背筋をびくっと震わせた。彼はとても敏感になっていた。
あらゆるものに、あらゆる負のものに。
ふと前を見ると、さっきとは違う男が立っていた。
(あれは・・・)
ヴァイオレットは目の前に現れた人物が誰か、うっすらと覚えている。
(魔王って言ってた・・・、元、魔王って・・・・。)
そう、ヴァイオレットをパトリの脅威から救ってくれた、あの魔王だった。

彼はガハハハと大きく笑っている。良い悪魔なのかもしれない。
でもヴァイオレットにはそんなことはどうでもよかった。
最悪の事態からは救われたけれど、状況は何も変わっていなかった。
それどころか、前よりもずっと悪い。
ぼくは勢いに任せて・・・・・ものすごく大きすぎる罪を、犯したのだ。
もうローザには会えないし、天界にも戻れない。
天界はぼくのことを血眼になって探しているだろう。
そう、ぼくを殺すために。
ダンテはどうしただろう。うまくやっているのか、それとも、兄のぼくがこんな大罪を犯したから、
ダンテも無事ではいられなくなったかもしれない・・。
でももうそれ以上のことは考えられない。
天界の、少数だけど存在していたぼくを信じてくれる天使たち。
その天使たち全員をぼくは裏切ったんだ。彼らがぼくに向ける白い目と失望がはっきりと今想像できる。
でももういい、もういいんだ、誰かを失望させても、落胆させても、そんなことは今となってはどうだっていいことなんだ。
ぼくは魔王になって、最悪の苦しみの中にいて、でも夢中でもがいて、激苦からは逃れられたけど・・、
でもそれで・・?それだけなんだ。なんにも変わっていない。全て終わったんだ。
もう何もかも終わった。終わりなんだ。ぼくは生きていく価値がなく、多くの天使がぼくを殺しに来るだろう。
何もかもが、終わってしまった。

「グワアッッ!!!!!」

無気力な思考を続けていると急に前方からすごい大声で喚かれた。
「我輩の話を聞いていたか?」
相変わらずな大きめの声量と、軽妙で陽気な声のトーン。
魔王といえばもっと怖いイメージだけど・・本当に彼が元魔王なのかも疑わしい。

「時に、お前は何故、己を捨てたのだね?」

さっきの男と同じことを訊かれている。でも・・・答える気がしない。
何故捨てたか?それしかもう行く先が無かったんだ。どうしようもできなかった。
ぼくには他に選択肢なんて用意されていなかった。
暴れ狂う悪いものを、憎悪を、悲しみを、怒りを、積もり積もった恨みを、苦しみを、全部開放してやりたかった。
全部放つしか無かった。ぼくの中に置いておくには、もうそれは、その悪はあまりに大きすぎたんだ・・。

ヴァイオレットが何も答えないので、男はぐいっと下からヴァイオレットの顔を覗きこんだ。
ヴァイオレットは顔を覗かれるのがそんなに好きではない。心を許していない人物は特にだ。


「お前はただ勢いに任せて一時、仮の魔王になったにすぎない。」

そう言われ、ふと顔を上げ、男と目が合ってしまった。


「負はエネルギーだ。お前は多くの負を生まれながらにもらってきたのだな。」

「ぼくが?」


「憎しみ、嫉妬、怨み、怒り、悲しみ・・それらは全て、負のエネルギーだ。
悪魔は負のエネルギーを得て大きくなる。」

「あんなの・・・苦しいだけです。死んだ方がずっとマシだ・・。」


「そうだろうとも、お前はそのエネルギーを制御できず、己を傷だらけになるまで引き裂いているのだからな。」


・・そう言われ、無気力だったヴァイオレットは徐々に男の話に関心が沸いてくる。



「悪魔になる為に必要なことは、負のエネルギーを完全に支配することだ。」
「・・・・支配?」

「上級悪魔は得てして冷静であるものだ。表でどんなに狂気や憎悪を滲ませようとも、芯の部分では完全に己を制御出来ている。」


さっきからある違和感・・・。そうだ、ぼくは、別に悪魔になりたいわけじゃない。


「なんだ悪魔では不満か?まさか天使になりたいのか?
フハハハハハハ!魔王になっておいて天使を望むなど・・」

「そ、そんなこと・・・!」



「面白い!なってみるがいい。魔王になったお前が上級天使になれたなら、我輩は大いに感嘆するだろう!」

「え・・・?えと・・・・あの・・・」

ぼくは別に・・・悪魔になりたいわけでも天使になりたいわけでもない・・。
・・そうそんな、贅沢なものじゃない。もっと根本的なものなんだ。

ヴァイオレットが怪訝そうな顔をしているのにやっと気づき、男は大笑いをやめた。


「ま、お前が何者になりたいのでも構わん。ただ物事の本質は同じだろう?」
大きな手で、男はヴァイオレットの頭をガシガシと少し乱暴に撫でた。
まるで大きなライオンみたいだ・・。


男はこう言う。


ヴァイオレットはマイナスのエネルギーを沢山得てきた。
それは一見不幸なことに思えるかもしれない。
だが負のエネルギーも大きな大きなエネルギーの一つに違いはないのだと。

ヴァイオレットは大きなエネルギーを内に秘めた存在なのだ。
今は負のエネルギーに振り回され息も絶え絶えだが、
それはうまく使えば大きな大きな武器となる。

でもそんなことを言われても、ヴァイオレットは腑に落ちない。
今までどれほど多くの時を苦しみ喘いで来たことか・・。
今までどれほど多く、意識が消滅して欲しいと願ったことか。
そう、どこにも居場所はなかった・・。
世界の、宇宙の、どこにも、居場所はないと感じていた。
だからもう、どこからも、ぼくの存在など・・・抹殺してしまいたかった・・・。

・・・なのに、なのにどうしてこの悪魔はこんな変なことを言うんだろう。

「負はエネルギーなのだ。だからお前はそのエネルギーを自由に自分のことの為に使えるのだ。
天使になりたければ、負を転換して、それを正の方向に放出すればいい。」

「・・・簡単に言わないで下さい・・。」

ヴァイオレットは結構不機嫌な顔をしている。
それをわかっていて、魔王の方は平然とした面持ちだ。

「忘れることだ。何もかも。怨みもすべてな。」

「だから簡単に言わないで下さい・・・・!!!!」

ヴァイオレットが段々といきり立ってきた。魔王もさすがに話を中断させた。
そして魔王は、一呼吸おいてから、少し表情をこわばらせてこう言う。


「お前がそうなったのは、神とかいうものがお前を罰したのでもお前が疎ましい存在故にそんな目に遭っているのでもない。
現実はどこまでも現実で、その現実は、お前自身のみが創り出せるものなのだ。他の誰も介入は出来ぬ。
お前の意志、お前の考え、お前の行動、それだけが現実を作っている。
お前は力を持つものだ。お前の意志により現実は如何様にでもなる。
今のお前は己のこともわからず、ただ足掻いている。苦しみに振り回されてただ存在している。
ここはお前の世界で、お前の現実なのだ。」


不満気な顔のまま、ヴァイオレットは押し黙っていた。
男は口調を緩めて、こう続ける。




「そして今のお前には世界の有り様の1%ほども見えていない。目をつぶって道を歩いているようなものだ。
それでは怪我をして当然だ。時に深い溝に落ち重傷を負うかもしれぬな。」


・・・さっきから黙って聞いていれば、けっこうな言われようだ。
ぼくにだってプライドがある。どんなに馬鹿にされても耐えてきた。
でもだからこそ、逆にプライドがある。
ぼくが世界の1%も見えていないって・・なんでそんなこと・・・さっき会ったばかりの魔王に言われなきゃいけないんだ・・。

ぼくのこと何も知らないくせに・・・。


魔王は口をきゅっとつむいでいるヴァイオレットを見てすかさずこう加える。

「私は悪魔だが、今は別にお前を怒らせたいわけじゃあない。もう少し世の有り様がわかれば、
お前は今より格段に楽に生きられるということなのだ。」

・・・楽?

楽ってなんだろう・・・もう苦しまなくて良いってこと?
あの暴れ狂う化け物に支配されて四肢を八つ裂きにされる想いをしなくていいってこと?

もう絶望に苛まれて、世の中の全てを怨み滅ぼそうとしなくてすむってこと?
もうぼくは・・・・孤独に・・・苦しまなくて・・・・・いいって・・・こと・・?


ヴァイオレットの顔がぱっと晴れ、きゅっと力んでいた口はすっと自然な口に戻った。

「世を知り、己を正しく、冷静に認識することが出来るようになれば、遙か遠くまで見渡せるようになる。

大きな世界、実に多くのものが存在し関連し合うこの世界で、

己がどんな存在で、どこに立ち、何を見ているのか。

何を望み、それを達成するにはどうすれば良いのか。
すべてがより明瞭に、冷静にわかるようになるだろう。」


・・・言ってることが・・わかるようで、わからない・・・。今のぼくには・・。


ヴァイオレットは黙ったままだったが、ころころ変わる表情と態度でその感情は実に読み取りやすかった。

「焦らずとも良い。いずれもっとはっきりと視界が開けてくる。そうすれば、お前が何故苦しんだのか、
どうしてそうならざるを得なかったのか。よく、見えてくると思うぞ。」


悪魔はにっかり大きく笑って、そしてまた、ヴァイオレットの頭をガシガシと荒っぽく撫でた。

その直後、シンと静まり返っていた空間が割れ、ケタケタケタと小悪魔たちが笑い声とともに進入してきた。



「さあ、迎えが来たぞ。帰るがよい!」



え・・・帰るって・・・?どこに・・・・?
ぼくにもう帰る場所なんて・・・・・・・・・。






そう言おうとしていきなり白い渦に呑み込まれた。
四肢の感覚が曖昧になり、視界も真っ白。
何かが、ぼくに触れては消えてゆく。とても儚い命のように・・。
白い炎がまばゆく光り、ぼくに触れ、ぼくに何かを伝わらせていく。


やがて漂ってきたひどく懐かしい香り。ぼくはこれを、求めていた。


帰りたい・・・帰りたい・・・・・・、



帰りたい・・・・・・・。





気がつけば涙があふれ、ぼくは地面に突っ伏していた。
そこには見覚えのある湿気を帯び黒ずんだ木板と、辺りに散乱した食べ物、壊された家具。
ぼくが人間にされて死んだオンボロ小屋が、さらに傷だらけにされて、そこにあった。まるで今のぼくみたいな姿だ。


辺りを見回すと、オンボロ小屋の出入り口付近で、
壁にもたれかかってすやすやと眠っている見慣れた姿があった。


・・・・ごんべえ!!!!!!


声にならない声が、歓喜が、胸からあふれだしてくる。

ひどく懐かしい。
ごんべえはいつものように、優しく穏やかな表情で眠っていた。

懐かしさと嬉しさのあまり声をかけようかと思ったが、一瞬たじろいだ。

拒絶されることの恐怖がじわりと沸いて出た。

ぼくが・・・何をしたのか知ったら・・・・ごんべえはぼくのことをどう思うだろう。

とんでもなく恐ろしくなった。
自分のしてきたことの方が遙かに恐ろしいことなのに、
今はごんべえの信頼が絶たれることの方がずっと恐ろしく感じる。


しばらくの間、硬直して、ごんべえを見ているしかなかった。
静寂の空間の中で、オンボロ小屋に2人。
ヴァイオレットは大きな葛藤で動けぬままだった。



コト、と物音がして、黒猫が近くを走り去った。
その音で眠りが浅くなったのか、ごんべえは左腕が膝からずり落ちた拍子に

うすく目を開けた。

そのことに気づきヴァイオレットははっと息を呑む。


普段と違う気配に気づき、ごんべえはゆっくりと、ヴァイオレットの方を見た。
その瞬間、ごんべえの目はまんまるに大きく見開き、瞳はすぐに水気を帯びた。


ごんべえは、何かを言おうとして口を開くも、何も言わずずっとヴァイオレットの方を見つめている。

その眼差しは、あまりに熱く、あたたかく、そしてこの上なく優しかった・・。



2人は言葉も交わさず、ただただ見つめ合っていた。

言葉にならない言葉が、感激が、二人の目を伝って行き来する。



そう、ことばも、動作も、そこにはなにもなかった。

ただ2人が見つめ合っていただけだった。
でも2人にはそれで十分だった。


彼らは彼らにしかわからない何かを、お互いに感じ取っていた。


ヴァイオレットの恐怖心は、ごんべえの眼差しを見た途端、一瞬にして消え去った。

杞憂だとわかった。

それはあまりにもあたたかかったのだ。

あつい、熱いものが、胸に流れ込んでくる。なんだろうこの熱い感情。とても熱い。

熱すぎて・・涙が止まらない。


誰かと誰かが本当に心を通わせたとき、そこに言葉はなく、動作も必要でなく、


ただただ、お互いがそこにいる、それだけで十分だったのだ。


2人は言葉にならない熱い感情を交わした後、ゆっくりとオンボロ小屋で眠りに就いた。
こんな安らかな気分は、いつ以来だろう。このまま眠れば・・・
きっと、天国へでもいけそうだ・・・。


ヴァイオレットは薄れゆく意識の中で、そんなことを考えながら、実に満足げな表情で天を仰ぐのだった。



ー翌日の朝の光。
天に昇りそうなその心地よさは引き裂かれ、現実に引き戻された。
化け物から少年の姿のヴァイオレットに返った直後には、必死すぎて気づかなかった現実・・。

そう、ぼくは両羽を失っていた・・・。
人間であり、人間ですら無くなった。
ぼくは魔王になってそれから・・。


羽を開こうとしても両羽はとっくにもがれて消えていた。

悪魔の力も天使の力も使えなかった。

ヴァイオレットはようやく、自分の置かれた現実を悟った。


今の自分は、本当に何もできない、ただの、ぼく。


ヴァイオレットは混乱していた。
頭を抱えながら自問自答するようにつぶやいた。
「な・・なにがどうなって・・・ぼくはいったい何者なんですか?ぼくはどうすれば・・・?
ぼくは力が使えないんですか??ぼくは天使でも、悪魔でもなくなっちゃったんですか!!?」

ごんべえはそんな混乱したヴァイオレットを冷静に見つめていた。

「貴方は今、何者でもない。それならば、なりたい自分を好きに選べますな!」

「・・・え?」

「天使という存在に振り回されることも、悪魔という存在に振り回されることももう無くなったのですな!
なんと自由なことよ!」

ごんべえが満面の笑みでこちらを見てくるが、ヴァイオレットは複雑だった。


「ぼくは天界には帰れないのかな・・?」


ふと放ったヴァイオレットの突飛な一言。

彼は未だに、天界に自分の居場所を求めているのだろうか・・。

しかしごんべえに驚いた様子はなかった。


「貴方が天界に帰りたいと願うなら帰れるでしょう。」


ごんべえの意外すぎる言葉、あまりに現実とかけ離れた言葉にヴァイオレットは驚きを隠せない。

だって、ヴァイオレットは今、天界から最も遠い存在。そして天界から最も疎まれる存在なのだ。
どうひっくり返ったって、天界に戻りたいなどとはふつうは考えないし、それが到底不可能だということは、
誰が見ても明白だ。

だからこそ、ヴァイオレットはごんべえの意図を掴みかねていた。



「どういうことですか・・?ぼくは天界にとって抹殺したい相手のはずです・・。」


「よいですか、私も、貴方も、何者にでもなれるのです。それを信じ、願い続けてさえいれば。」

「そんなこと・・・・。」

「今の貴方からは天界は最も遠い存在かもしれません。ですが、本当にそこに帰りたいと願うならば、必ず叶います。」


ぼくにはわからない。まったく。何故ごんべえが自信に満ちた顔でそんな突拍子もないことを言い切れるのか。
まったく理解できないよ・・。


「最も願うこと。一番の痛切な願いというのは、大抵叶うまでに時間がかかる。
だから気を楽にしていることですな!あまり真剣に思わず、いつかは叶うと信じることです。」






ヴァイオレットは今、信じるという言葉が大嫌いだ。


そもそも最後まで信じた末、それが裏切られ続け、どうにもならなくなって、信じることの限界が来て、魔王にまでなったのだから・・。


「そんなの信じろっていう方が無理です・・!」


「では自身を信じて下さい。他の何も信じずともよいですから、心から願う自分自身の心を信じてあげてください。」


「自分自身?」


ヴァイオレットが何よりも信じられないもの、ぼくを貶めた、運命をぐちゃぐちゃにしたのは、
神なのか何なのか、よくわからないけど、その運命よりも更に信じられないものが、


ぼく自身だ。




信じる・・・・

・・そういえば、ローザ先輩と以前こんな会話を交わした。



「ローザ先輩はどうしてそんなに強いんですか?どんな時でも諦めないでいられるんですか?」

「信じているもの。自分がやれるって。もう駄目って思ったら遠慮なく休むけど、
それでもまだ自分はやれるって自分のことを信じているから。」

「そんなの、絶望的な状況になっても信じられるものなんですか・・」

「・・・ヴァイリン。あのね、絶望は信じることをやめたってことなのよ。見捨てたってことなの。
私はそれはしないわ。八方塞がりな状況になれば、そこで同じ戦い方をするのは無意味よ。
ヴァイリンみたいに絶望的になっちゃうかも。
でもね、そういう時は、未来の自分を信じて方向転換するか、大人しく休んでいるのよ。全ては未来の自分の為よ。
下手に抗っても、戦っても駄目なの。そんなことをしてみても、逆風の中では下手に力を消耗するだけよ。
全ては未来のために、力を残しておかなくっちゃ。状況は必ず変化するものよ。
次に好転した時、機会を逃しちゃもったいないでしょ?」


「すべては未来のため・・?」

「そう。未来の自分を信じているからこそ。いま英気を養って遠慮なく休めるの。そのときが来るのを信じているから。
逆境の中でただ絶望的になって自暴自棄になるのとは違う。」

「何故・・そんなに信じ続けられるんですか・・・何の保証もないのに・・・。」

「保証はね自分が作るものなの。他の誰も保証なんてしてくれないわ。自分の信じ続けるという意志そのものが保証になるのよ。」

「・・・ぼくにはよくわかりません・・・。ローザ先輩はそうやって、何かを叶えたことがあるんですか?」

・・・そう言うと、ローザはころころと笑った。どこか含みのある微笑み。何か、叶えられたってことなんだろうか・・。

わからない・・・わからないよ。ぼくには、魔王さんの言ったことも、ごんべえの言うことも、ローザ先輩のいったことも。
まったく何もかも理解できない。ぼくには何も、信じられない。
ぼく自身が一番、・・信じるに値しない。




「あまりにもったいない。」

ごんべえの一言が、ぼくの回想をうち破った。

「・・え?」

「貴方自身が如何に偉大で力を持っているかを知っていただきたい。」

「力なんて、これっぽっちもありませんよ。」

卑屈そうにヴァイオレットはそう搾り出した。

「今まで貴方は力の使い方を自傷と暴走の方向へ向けていただけです。それをうまく使えば、貴方はとても輝ける。」

「そんなこと・・・。」

「あなたがどれだけ苦しんできたか、私はそばでずっと見ていました。あの苦しみは並大抵ではなかったはず。」

「え・・うん。それは・・」

「それが貴方が持つ強大なエネルギーなのです。貴方を魔王に貶めるほどの強大なエネルギーを、貴方が持っているのですよ?」

「・・・・・・・・・・・・。」

そういえば、同じようなことを魔王さんに言われた気がする。
ぼくには力がある?すごい負のエネルギーを持っている?
そして、それをどう使うかはぼくがぼくの意志で・・・決められる?



「楽しみましょう。より楽しみが多そうな方を探し、向かいましょう。
きっと貴方はあまりに多くの負を受けすぎてきた。貴方には楽しみや喜びが何よりも必要です。
そうして見えてくるものがあるでしょう。どうか卑屈にならず、より楽しめることを模索してください。
きっとそれが、自分を信じられることに繋がっていくでしょう。」



願い信じている限りはそれに近づける。


何故それを願うのか。何かを真に願うとき、その願いの意味がちゃんとある。
その願いを抱く自分を信じよ。その願いこそが天命である。






―――それから、たくさんの変化と困難があった。何度も死にそうになった。
恐怖やパニックにも陥ったし、腸が煮えくり返るような憎悪が復活しそうになったりもした。
たくさんの歩みと後退をぼくは経験した。
へとへとになった。もうダメだと何度も思った。
絶望がぼくの世界のすべてを支配したことも何度もあった。
もう消えたいとも思った。この世界にはやっぱり救いなんてなかったって、


何度も何度も、うんざりするくらい思った。



ぼくはぼくと世界に何度も何度も殺された。

何十回と、何千回と。何億回も、殺された。




でも、なんで、ここにいるんだろう。


なぜ、ここに、いられているんだろう。


なぜここまでぼくは、生きてこられたんだ。




絶望に支配されることは何度も何度もあったのに、魔王になる前の自分と今とでは、
小さな何かが・・違っているような気がした。



迷いと絶望の中にいるとき、元魔王の声がぼくの耳元でこだまする。






今のお前には一体何が見えている?今のお前は一体どこにいるのだね?

今のお前は、世の中の1%ほども見えてはいない。
そこにチャンスが転がっていようとも、お前は全てをすでにあきらめてしまっている。
己を自身で捨ててしまっている。
千変万化する流れの中で、常に可能性は変化し、動いているのだ。

つい先程まで光のあった場所にはもう光はあらず、そこに光が無いと察した時、
あきらめ、絶望するのではなく、他のまったく別のところから光がある場所を探らねばならない。


信じることだ。可能性がそこにあると。信じることから全ては始まる。
信じなければ、どこを探しまわっても、決して何も見つからぬだろう。



お前の空想や妄想で現実を歪めてはならんぞ。現実はどこまでも現実だ。

お前が何に反応し悲嘆し、何に喜びを覚えるのか、何で失敗し、何で成功したのかを、
よくよく、観察するがよい。
どこまでも冷静に、現実的にだ。そこに思い込みや空想があっては真実を歪めてしまうぞ。


思い込みや妄想は捨て去れ。


そうすることで、真のこの世の有り様と、己の真の姿が、
一つ一つの出来事の、ほんとうの意味が、おのずと見えてくるだろう。

霧がかった視界は次第に晴れ、今まで己が居た場所が、如何に小さな池だったかがわかるだろう。
その小さな池の中の小さな視点で、苦しんできたかがよくよく見渡せるようになろう。

真実とは何層にも重なり、渦を巻いている。最も崇高な真実は、最も広い視点の中にある。
己が見た小さく醜い己自身は、今お前がいる小さな池の中での真実でしか無い。

より広大な森へ進め。山に登り自身がいたところを見渡してみよ。

己の犯した失敗が、何故失敗だったのかがよくよくわかる時が来よう。
そしてそれがわかった時、より多くの世が見渡せるようになっておろう。



いいか、弱みは強み、マイナスはプラス。お前が半天使なのは強みでもある。
だれでもない、お前だけの、お前だけが喜ぶ生き方をしなさい。

お前を疎ましく白い目で見るのは、お前が疎ましく醜く汚れているからではない、その者達は怖いのだ。
底知れぬ未知と自分自身の弱さに対する恐れがあるのだ。
真に己に対して誇りと自信を持っているものはお前を通して自分の弱さや恐怖を見ることもない、故にお前を恐れることもないのだ。



何かを失ったら、同時に何かを得ている。
何か悲惨な出来事が起こったその真の意味と原因は、道を歩き続けなければわからない。
時に何かを捨てる勇気を持つことだ。そうすることで新たな可能性が目の前に現れる。
今持っているものを手放す勇気を持つことだ。





信じて、・・歩み続けるのだ!



時に崖から落ちようと泥に歩みを妨げられようとも。



お前はそれでも、今、生きているではないか。








―――天は高く遠く、どこまでもつづいていく。
これから歩む道のように。
いつもより少し澄んだ青を見上げて、
ヴァイオレットはきゅっと顔を引き締めた。




・・・もう一度だけ、生きてみよう。




瞳はどこか、以前よりも強さを帯びている。そんな気がした。





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