title:『

明日の産声


文字数:20877文字(20872)
行数:1187行・段落:422
原稿用紙:53枚分(400文字詰)
1章:VV   ★2章:帆翔   ★3章:産声   ★4章:迫間   ★5章:緩歩   ★6章:墜地   ★7章:うばう   ★8章:狂想   ★9章:二つは一つ   ☆→writing

明日の産声:第三部

第二部:天使の帆翔へ←          →第四部:天と地の迫間へ

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明日の産声 《もくじ》
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鮮やかさを天に奪われた急峻な山々、その上を黒い物体が終末の雄叫びを大地に轟かせながら鳴いている。

誕生の女神は死と口付けし、それらの力は融合を成す。

−極楽地獄 第三章−

―――開かれし扉。


≪sideA:極楽地獄に辿り着いた人間≫

柴谷朋弥は扉の前にいた。
扉の両端にある柱の中にはうねりを描きながら天に登っていく、黒と白の宝石があった。


そこは、相異なるあらゆる2つのものが融合を果たした姿であった。
黒々しくよどめく大気に醸しだされて映る、その蜃気楼のような塔。
頂上が見えることのない、永遠と天と地に向かって聳えるその塔は、
漆黒のようであり、しかし大気の影響か、時々純白にも見える。

その塔は痛々しく、けたたましい悲鳴のようなものを出しながら扉の向こうに存在するのが伺える。


俺はどうしてこんな所に辿り着いてしまったんだろう。

柴谷は心のなかでそうつぶやく。

俺はただ、この世界のどこにも居場所がなかった。
この世界のどれもが俺には拒絶反応を覚えて、痛みを伴うものでしかない。
だから、病気なんかになったのか?  そして死んだ。

でもここは、俺の想像してた天国とか地獄とかいう奴より、随分違う。
まるでこの世の果て・・、この宇宙の果てにでも来てしまった気分だよ。
俺は踏み込んではいけない領域を侵してしまった気がする。
もう、俺は、人間ですら無くなってしまったのか。

自分の姿を見るのが怖い、けど、無いんだ。自分の姿が。

見えない、どこにも。

手を自分の目の前に持ってくると、自分の手が見えるはずだろ?

・・・無いんだ、何も。


ここはどこで、俺はどうなってしまったのか、
本来ならそこを心配すべきなんだろうか。


でも俺はそんなことより、この先に逝きたいと思っている。
血走るんだ。何か解らないが、この最果てに何があるのか、俺は、肌で感じたい。


―――結局俺は、今までいた世界のどこにも本来の俺なんていなかったんだな。
俺は、俺自身を探して、ここまで来たのか・・?

眼の前にある石の門。そののっぺらな石たちが独りでに自らを刻み、
そして文様が現れる。

太陽、惑星、銀河、・・様々な天体、これは宇宙か。
この中央の柱は何だ。
この柱を中心に、宇宙が動いているのか。
どうやったら扉が開くんだ?

朋弥は無機質な表面にそっと触れてみる。
やはり自分の手は見えないが、接触した感触がある。

自分の命が吸われていくのがわかった。
これは、命を吸って動く門?

きゃ・・・キャキャキャキャキャキャッ!

門を通じて奇妙な声が響きだした。

生命が集まってくる。

螺子を巻くと動き出すオルゴールのように、
朋弥の命を吸って、世界の色が変わっていく・・。

モノトーンな世界が、光を放ちながら色味を帯びていく。
鮮やかな赤、紫、緑、銀、白・・まるでそう、色とりどりの光を放つ宇宙そのものだ。

しかし中央が、黒く抜けている、そこだけ円筒状に切り取られたみたいに。

俺の命を吸ったはずなのに、自分の命が消耗した感覚がない。
まるで、なにかこう、もともとあったエネルギーの紐を俺の中から引きぬかれて、
俺自身は、紐を引きぬかれた衝撃で、眠っていたエネルギー製造機が起動したような、そんな感じ。

うわぁ・・!

黒い六角形や八角形の細長い物体が上から蔓のように次々と降りてくる。
長い物体がそこから飛び出して、とぐろを巻きながら空中を泳いでいる。
泣き声とも笑い声ともとれる、小刻みに震える声が風に乗って運ばれてくる。

あっ・・!?

中央の黒い中から16方向に何かが出てきた。
その黒くて長いものは、円を描きながら踊るように地面に串刺しになる。
花がその蕾を開かせるように、その中央の空間を中心に、様々な奇妙な物体が、
実に多様な広がり方で、俺の目を楽しませながら開いていく。

ッジッジジッジッジッジジッジ・・


低音の何かと何かが重なって擦れ合うような音が、リズミカルに流れ、
その後それは現れた。

「・・・・影?」

光を纏わない真っ黒なそれは、俺の目の前にいた。

「影だよ。
命を持つもの、お前は何をしに来たんだい。」
「・・俺?俺は何もしに来てない。」

「嘘だろう、お前の目は体を持っていた時より輝いておるぞ。」

「アンタ一体誰なんだ。」

「お前の中の真実の答えを持つものじゃ。」

「・・え。」

「・・そう言えばお前は満足するかな?」

「・・・・・・・・・・・・・。」
「この先には何かあるのか?」

「フッホッホホッホ、そんなことはお前が決めることだよ朋弥。」
「どういう意味だよ」
「この先に何があるかだって?
人間であった頃のお前はそこに何かがあったのかい?無かったのかい?」
「は・・そんなの・・」

咄嗟に何か言おうとして言葉が詰まる。

・・そうか、俺は人間だった自分がどういうものだったかなんて、
まだ全然考えたことも無かった。
ただ何となく居心地が悪くて、全てを否定したくて、全てが嫌いだった。
俺はただ、あそこじゃないどこかに逃げてしまいたかった。

「なぁ・・アンタって・・」

朋弥がふと前を見ると、その影はどこにも見当たらなかった。
代わりに目の前の大きな大きな門が、何も言わず、その扉を開けて、
朋弥を出迎えているようだった―――――





≪sideB:遣わされた人間≫

私・・?
私は人間。
多くのものに背を向けられ
這いつくばって生きている
ただの人間。

どうしてそうなったかは覚えていない。
ただ、おまえは社会不適合者だと、烙印を押されてから社会生活を追い出されたのだ。

私は道端で女に出会った。
なにか妙な様相の女。
そいつは見るからに陰湿そうで、何を考えているのかわかりはしない。
いや、それは私も同じか。

女は私に言った。

「やることがないなら、ウェブサイトをつくりなさい。
それも、とびっきり格別なものを。」


人の血流が感じられない奇妙な色をした唇、
そこから擦れ出る変質した音。
彼女の変質した咽頭から、何かが動き、それが言葉となって私にささやく。

誘導されるがままに、私の耳はそれを追うことしか出来なくなる。
誘惑的で、耽美で、堕落的。

これは悪魔の誘惑?
それとも新たな楽園へのお誘い?


「お前はもうすぐ、ある女と出会う。
そいつとウェブサイトを作るんだよ。」


ある女?

私は生涯孤独の身。
誰も頼るものなどおらず、生きる意味も特にない。
そうして干からびた肉体と心を持ちながら乾枯した砂地に足を取られ埋もれながら死んでいくのだ。

そんな私に出会いなどあるものか。

私はただの人間。
それもおそらく、社会全体で見ると、下の下に位置する。


私は何も信じていなかったし、その印象的であったはずの奇妙な女との遭遇も、数日後には完全に忘れ去っていた。



それから数ヶ月して、私はある女に出会った。
出会ったのではない、いつのまにかその人間は「いた」のだ。
その奇妙な存在感のないその存在。
出会ったことすら感知出来ない、
もともとこれが当たり前で、自分はその状態になることをとうの昔に知っていたかのような、
そんな何の驚きもキッカケも偶然性も感じられない経緯を経て、私はあの女と一緒に居ることになっていたのだ。

私たちはどちらからともなくWebサイトを作り始めた。

題名は、そう、「極楽地獄」。

出会ったもう一人の人間は詳しくは語らなかったが、自分も奇妙な女に出会ったことをほのめかしたことがあった。
夢だったかもしれないと、あいまいな言葉だったために、そのときは何も気にかけることは無かった。

しかしその女の特長を照らし合わせるに、私の出会った奇妙な女とはまた違うようだった。
そっけなく、流れる風のような空気を身に含み、栗色のくせのある髪を四方に棚引かせて、とらえどころのない瞳を有した女性だったらしい。
私の会ったそれとはまるで違う。


私の出会ったその女は、まるで、そう異界の魔女。
全ての時間が彼女のもとに吸い寄せられ、彼女に会うと時間が止まる。
そんな異質の空気と、そこにあるのに触れられない、この世のどこにも存在していないかのような、その存在感。
どの空気とも同調せずに、感情も全く読みとれない人間性の欠如。
でも同時に、ほんのわずかに人間の部分を残してしまった、彼女の独特の気配が自分の身を引きつけてしまうのだろうか。

鼻腔をを刺激する冷淡でいてジットリした甘い匂い。
一瞬で囚われてしまいそうなのに、次の瞬間彼女のことなど何もかも忘れてしまう、そう彼女とは、そういう存在。

顔は思い出せずとも、あの独特の薫りだけは今もどこか自分の体に染み着いているような気さえする。

夢か誠か、私はある世界に招待された。
パーティーが開かれている。

お前はこの黄泉の国の住人となると言われた。

霧がかっていて何もかもよく見えない。

港が見える。ずっとずっと向こうには、私たちの世界が続いている。

私は誰・・?

・・・私は誰だったのだろう?

私は誰か・・・・・?

私は・・

私の名はマーリヤスコーリー。

漆黒の闇であり有を無へ帰するもの、統べる者、誘う者、購う者。・・秩序を守る者。
私は侵害を許しはしない。

ああなんと愚かなこと。
オジサマ貴方はなんて愚かなの。

我らは干渉してはならぬ存在だというに、あろうことか貴方は、世の行く末を補正なさろうというのか?

それこそが歪みとも知らずに。


そして私がこの愚直な意志の使い目になろうとは。
しかし我らは見届けるのが使命よ、枠を外れたオジサマは、何者ともなれず、やがて世界の狭間をさまようがいいわ。

かつて・・
断罪と決別の柱から生まれた我ら。
エッセンスは虚無だというに、オジサマによって色と役目を負わされてしまった。
なんと惨憺たる、恥ずべき事態。
愚かな愚かなオジサマ。

我ら2つの存在は、各々2人の人間を選んだ。
我らの世界を開かせるため、そして軸を補正し、変えさせる。
我ら本来無であるべきものが有となり、この世界に干渉するため。
こんな道を外れたことをし、我らはどうなるというのだろうか。
たった一つの過ちで。

だが道は開かれつつある。

間の道はもう完成しつつあるのだ。

港が出来、花園が出来、存在が集う場所が出来てしまった。
黄泉の住人たちがそこに集う。

これは奴らがつくった。
すべては我らが人間とコンタクトをしてしまったから。

だから道が出来てしまう。

存在が増えつつある。力を持つ。
我らが影響出来るようになってしまう。

間の世界が、もうすぐ完成する。

私たちは四角点を使い、あなたの束縛を弛めよう。
そうすれば、何もかもを、もとにもどしてくれるやも。





―――――あの時、私たちが誰かの見えない手によって動かされていただなんて、
どうしてそんなことが思える?

私たちはただ、なんとなく、無意識に、あるものを作っていただけ。
そう、何の展望も未来も夢もなく、ただ無造作に。
これから起こることなど全くもって予知し得なかった。

このことが後々の世に大きな影響を及ぼす、
アレに移行する為の最初のキーになっていただことなど。


私たちはあの時接触してしまった。
そこからもうすべてが手遅れになっていたのだ。
すべては新たな方向に動き始め、それを拒絶しようとも、
決して容認できないものだとしても
この世界はある方向に、向かうことになってしまった。

もう嘆いても悲しんでも無駄よ。
世界はすでに変わっている。

取り残されないように必死でついていくのも、
ここで全ての未来に逆らって、摩擦されながら生きるのも自由。

私たちはやらされているんだ、お前たちが来るのを待っている。
そのためにこうして、お前の元にやって来たんだから。

我らを拒絶しようと自由。でもいつでもそこは、お前の前に広がり、お前を受け入れる為に存在している。
意志さえあれば、いつでも行くことが出来る。
目を見開けば、いつでも見えるんだ。
そう,これが我々の世界さ。





≪sideC:イコン≫

光の粒が無数に浮遊し、舞い、景色を彩り、多様なものを形作る。
それは天界と呼ばれる。
神と呼ばれる光によってそれは存在し、
その光の中心に天界城が聳える。
光は城を中心に天界各地に編み目状に行き渡り、
天使に命を与え、傷を癒し、天界物質のもとを作る。

溢れんばかりの光が注がれている中、ある天使は光の届かない地下室で大量の物に埋もれていた。

「トマスファリ様、どうしてこんな古いガコタ(点版磁気装置)の整理なんか?」

<え、気にしないでよ。ただの気まぐれ。・・といっても君は信じないかー。
天界上層部の天使がある珍しいものを運びにこっちに来るって。それが原因だと思ってて。>

イコンは誰かと話しているようだった。姿は見えない。
彼はよく、天界のテレパシーのような通信方法で天使たちと通信を行う。
閉鎖されたイコンの環境では、それらは唯一の外的な交流なのだった。

「トマスファリ様、こんなとこにマーリシトルーカが咲いてますけど・・。」
<え?そう?イコン、キミが植えた?>
「植えてないですよ、天界の光が届かないのにどうしてこんな所に生えてるのかな。」
<まっ、そんなのはキミのシゴトじゃないか、ボクは今から整合のシゴトを・・>

―――ブツッ、と鈍い音がして通信が途絶えた。
やれやれ、といった顔のイコン。
彼曰く、天界の上級天使たちは、上に行けば行くほど一癖も二癖もあって、なかなか個性的なんだそうだ。
その分、下で働くものの心労は計り知れないとか。、

トマスファリからの通信が途絶えて間もなく、別の通信がイコンの耳に入ってきた。
―――イコン、いないのか?
・・・これは・・、上の方からだね、ダンテかな。
「今いくよ」
そこは出口の無い部屋、上に行くことはイコンのような存在でないと出来ない。
イコンとこの建物全体は、波動が同調しており、建物内では瞬間移動のようなことが出来る。
その為イコンしか入れないような【出口の無い部屋】もいくつかあるようだ。

ウヴイィーン・・・・・

三重、四重、幾重にも空間が歪みながら、波を描くようにイコンはダンテの前に現れた。
「ああ、すまないイコン、前に話した件のことなんだが・・」
ダンテ、彼という天使は、何十もの顔があるようで、
ルーミネイトと接する時の顔、イコンとの顔、ヴァイオレットとの顔、そして独りの時の顔。
そのどれもが彼であり、しかしどれもが偽りなのかもしれない。

そしてイコンの前のダンテは、いつもヴァイオレットの前で荒ぶっている彼よりも、至極穏やかなものであった。
彼は度々イコンのもとを訪れ、日常的に会話や頼みごとをしている。

「それはやめた方がいいと思うけどな」
「なぜだ・・?」
「それだと、ルーミネイト様の命令で薬を配合したと取られかねないよ」
「・・うん・・まぁそれもそうだが」

躍進的で行動的なダンテに対して、イコンは冷静で客観的なアドバイスをしてくれる。
動であるダンテにとって、静のイコンの意見は、いつも彼の独走を引き止めてくれる存在なのである。

「とにかく早くしないと。間に合わなくなるんでしょ?」
「あ・・あぁ、そうだな、急ごう。」





≪sideD:天界≫

「・・騒がしいな。」

白一色に染まった部屋に、ぽつんと配置されているデスクと豪華な椅子。
一人の天使がそこに腰掛け目線を扉に向ける。
カーブを描いた金色の髪が、天使の左手をやんわりと掠めながら天使の胸元に落ち着いた。

扉のあたりには息を切らして報告に来たであろう天使が一人。

「ルーミネイト様!」

「ほかの天使たちでも、止められていないのかい?」
「そうです、次々と天使たちが消されています!」
「彼女はほんとうに魔界からやってきたのかな?」
「どうしてです!奴に決まっているでしょう!奴が原因ですべてがおかしくなっています!」

「・・・ふぅ、彼も可哀想に。あぁ、可哀想は余計か。」

報告に来た天使の切迫した空気とは裏腹に、穏やかでほんのりと微笑んでいるルーミネイト。
天界が大きな騒動に見舞われようと、たとえ何が起ころうとも
きっと彼、彼女?の周りだけは、いつもこうなのだろうと、側近の天使は見ていて思う。

「ルーミネイト!先鋭部隊が9割やられた!」
沈黙した空気を破ったのは新たに入ってきた大柄の天使。

「モーレンヴォーグ、彼女は動力装置を持っているんだってね。」
「其れについては主が確かめればよい!」
「私も駆り出されるのかい?乙女の怒りに?」
「奴は天界全体のエネルギーを吸い込んで放出しているのだぞ、すごい破壊力だ!」
「・・・あのね、モーレン、その前に気になっていることがあるんだ。」

ルーミネイトはモーレンヴォーグと呼ばれた天使に何かを囁く。
すると、その言葉を受けて顔色をガラっと変えるモーレン。

「私の関知するところではない!」

モーレンヴォーグはばつが悪そうな顔をし、大柄の体をどかどかと動かし、建物全体にその豪快な存在感を響かせながら、
ルーミネイトの執務室を足早に後にした。

彼が去るのを見届けた後、ふと、ルーミネイトの目の色が変わる。
羽の形を模した大きな窓から天界をその瞳に有し、この天使は何かを憂いているように見えた。
彼の後ろ姿は、ただ白く、白く、そう、ただひたすらに白い。
その白い天使の衣が窓から差し込む光と調和し,混じり合い、一体化して反射したかと思ったその次の瞬間、

―――側近の天使たちの視界から、ルーミネイトの姿は消え去っていた。

その場はただ静けさの中に、側近の天使たちのどよめきが入り交じるだけだった。




ビジィッッッッ!!!

雷のような鋭くけたたましい音とともに、天界の光たちが切り裂かれる。
その場には多くの羽の残骸が、しかし、天使の血液である、透明なほのかに銀光る液体はどこにもない。

それはすでに多くの天使たちがあらがい、消された後だった。

騒然となる場の中、一人の女天使が凛然と立ち向かっている。
「ファーリリナ、もう保たない、離れて!」
周りの天使が止める声も、彼女には届いていないようだ。

凄まじい閃光が幾度も天空に瞬く。
彼ら大勢の天使たちは、何かに抗っていた。
ある者を取り巻くように大勢の負傷した天使たちが蹲っている、沢山の散っていった天使たちの羽の上に。
一人の女天使だけが、その者と戦っていた。
水色の細かい繊維状のものを纏って、その者は縦横無隅に天界を切り裂く。
ファーリリナと呼ばれる女天使はその者の正体を覗おうとするが、
繊維状のものが邪魔して、彼女の姿を見て取ることが出来ない。

「ファーリリナ、陣が完成した、どきなさいっ!」
後方で密かに魔法を創っていた天使たちが叫ぶ。
ファーリリナはすかさずその者にトドメの一撃を放って身を退いたが
その一撃は繊維状のものが吸収してしまう。
天使の魔方陣が発動し、陣から光が放たれた、光は渦となってその者を飲み込み、
光は幾重にも重なりその者を捕らえた。

・・・かに見えた。

光の渦から何か鋭いものが出てきた。
水晶のような透明なその鋭いものは、水蛇に姿を変え、大きくて分厚い光の渦を外側から取り巻く。
水蛇の力でその光は宝石の結晶のように呆気無く砕け、無残に飛び散った。

呆然と立ちすくむしか無い天使たちの落胆した空気が辺りを支配する。
天使たちが総力を賭けて挑んだ渾身の一撃が、こうも呆気無く敗れ去ってしまったのだ。
ところどころの天使たちに絶望という文字が、その表情に浮かんでいた。

「絶望は天使にとって絶対にあってはならないことです。」
ファーリリナは、その目に輝きを僅かに残していたが、しかし勝ち目がないことを彼女も重々わかっているようだった。

彼女は攻撃から防御に切り替え、落胆し、戦う気力を失ってしまった多くの天使たちのために
必死で精一杯の防御壁を創り続けていた。

しかし、ファーリリナの心配をよそに、その者は天使たちに攻撃してくる気配が無い。
水蛇は姿を変え、元の水晶のような鋭いものに姿を戻していた。
水色の繊維を纏ったそれは、その鋭い武器を天に向かって掲げた。

「まっ・・!まさかっ・・!!!?」



天界で、上、即ち天というのは、神を意味した。

「あやつはまさか神に向かって刃を向ける気なの!?」
どうすることも出来ずにいるファーリリナの目の前で、それは行われた。

その者は水色の繊維から、ついに姿を現す。

「な・・なんだあれ・・・・」
「お・・・女の子?」「いや、男かもしれない。」
「ただの女の子に見えます。」

その姿はまるで赤子のような柔らかさと新鮮さを保ち、
沢山の光を反射し、艶やかな肌を備える。
向日葵色に輝くその繊細な髪と、天界の空そのものであるかのような、
綺麗な澄んだライトブルーの瞳。
しかしその瞳は天使のものとも、人間のものとも違っていて、
どこか、ガラスのような、氷のような、そんな瞳を有していた。

ピンク色のあどけない爪で、その者は武器を構えた。
天界の上空、神の居場所を見つめ、その者は攻撃の準備に体制を整える。
ばあっっ・・と背中から赤や黄色の鮮やかなリボン状のものが現れて、その者の後方を取り巻いた。
武器は再び姿を変え、今度は大きな大きな大砲のようになった。

「駄目、やめさせないと!」
ファーリリナが叫んだが、もうその時には何もかもが手遅れだった。
大勢の天使が必死で妨害攻撃を仕掛けたが、
もはや攻撃がその者に触れることすら叶わなかなかった。

「あぁ・・!どうしよう、どうしたらいいの!?天界はどうなってしまうの?」
ファーリリナは祈りにも近い呪文を唱えながら、必死で策を考えていた。
(神が攻撃を受けようとしているのに神に祈るだなんて可笑しな話。
これも天使の性ってものなのかしら?)
ファーリリナは何も出来ずにいる自分に対し、多少の嘲笑の念を込めながらそんなことを考え始めていた。

その者はリボン状のものに支えられ、攻撃を開始した。
あまりのその威力が天界に尋常でない影響を与えているらしく、後方で赤黒いバチバチした雷のような火花が散っている。
これが続くと、天界自体がどうなるのか、全く予想がつかない。
天界のエネルギーとその者が持つエネルギーを無限大に増幅させ、それは放たれた。
大砲から放たれた凄まじい攻撃はその者の狙った通りのところに直撃。
バリバリバリッ!
ゴドゴドゴドドドッッ!

耳が潰れそうな騒音だ。
天使たちは気を失いかねない状態に陥る。
天界城が、その幾重にも施された鉄壁のバリアを失い、あろうことか崩れだした。

そんな悲劇の様を目の当たりにした天使たちは皆、光を失い、ただ呆然と立ち尽くすしか無かった。
ある者は悔し泣きし、ある者は呻いている。
声にならない声を出し、肩をふるわせている者もいる。
ファーリリナも呪文を唱えることを忘れ、ただ崩れゆく天界を眺めることしか出来ない。
神聖で静粛なる天界で、天使たちの嘆きと悲観が、世界を覆い尽くそうとしている。
天使たちの絶望は凄まじく、天界自体が軋み始めた。

そんな悲嘆に暮れる天使たちをよそに、その者は再び攻撃態勢に入っていた。
もう一撃食らってしまったら何もかも終わりだ。
多くの天使たちが青ざめる。
一部の天使たちは命がけでその者を止めに入るが、
その者の纏う大きなバリアによって、近づくことすら叶わない。

やめてくれ・・!もうやめてくれ・・!!!

天使たちの悲痛な叫びが天まで轟きはじめた。

しかし攻撃は止まらない。
再び大砲を天に向けて構える。
ゴオッ!!大砲の中から先程よりもずっと大きなエネルギーが空に放たれてしまった。

全ての天使が、天界の死と、天使の死を予感した。
そう、神聖なる天界に初めて、死と絶望という2つの言葉が多くの天使の脳裏に浮かんでしまっていた。
天使たちの絶望がそのエネルギーをより増大させていく。
もうこれで、天界は・・・・・・

ガシャアアアアアアアアアンン・・・・!!!!!!

凄まじい衝撃音とともに天界が真っ白になった。

なにも、その時は、なにもかも、把握することは不可能だった。

ただ、長い時が流れて、音はひとつも聞こえなくなっていた。
全ての天使は、それが死だと認識する。
ある天使は、自分が天使の職務を全うできなかったことを酷く嘆き、
またある天使は、己の天使としての資質そのものを問うた。
しかしある天使が思う、

・・・・思考が出来る・・・?

・・・・・・・・と、いうことは・・・・????


パァッッッ!!っと目の前が一気に開ける。
9人の大天使が、そこにいた。

それと同時に、神に攻撃を仕掛けようとしたその者は、もうどこにもいなかった。

天使たちがみな奇跡を見たかのような顔つきで、唖然としつつも、その状況を必死に把握しようとしている。
そして一部の天使たちは、天界が無事なことを見、涙をこぼした。

その中のある天使の涙が、地面を這いつくばっていた赤子に落ちた。

・・・そしてその瞬間・・・

赤子は柔らかい光の羽根のようなものを体から放出したかと思うと、
少女に姿を変化させた。
横には、あの水晶の武器が落ちている。

「こっ・・!この子はっ・・!!!!」

天使が思わず叫んだ。
そう、彼女こそが、先程神に攻撃を仕掛けた、その者だった。

「ダンテ!いたよ!!」
イコンがその少女を目で捉えると、すぐさま駆けつける。
「わかってる、いいな?イコン!」
ダンテが後から少女に駆け寄り、少女を取り囲んだ
「うん、さぁ早く!」
ダンテは腰に下げていた袋を取り出し、その中の粉を少女の口の中へ。
「あったよこれ、例の・・」
「動力装置か。厄介なものを・・」
「早く回収しないと・・・・・・。見られてる。」
ダンテたちは、少女の直ぐ側にあった、動力装置と呼ばれるものをそそくさと回収した。

早速帰ろうとするイコンの横で、ダンテは不服そうに9人の大天使たちを見つめた。
「しかしアイツらは何だ!?さっきまでの天界の崩壊を抑えたぞ?!」
ダンテは全く信じがたい、といった様子だ。
「ダンテは中級天使だから顔は知らないんだね。」
「何の話だ・・中級天使だから何だと言うんだ・・!」
「あれ、天界創成に関わった18天使の内の9人だよ・・。」
「はっ・・!!?そんな奴らが何故今更・・今まで何をしていたんだ。」
「多分、天界城上層部の障壁が破られたでしょ。だから・・」
「ハッ全く呑気な話だな!!俺らはさっきまで血眼になって走り回ってたんだぞ!」
「聞こえるよ・・、もうちょっと声量下げないと・・」
「・・・・しかし・・顔の知れた上級天使はみな総出動だな。」
一呼吸置いてから、ダンテは辺りの天使を見渡す。
「あ・・・うん、でも・・」
「ん?・・・・・・・ハッ!」
「ルーミネイト様は見当たらなかったね、僕たちさっきまで上級天使様たちの所を駆けまわってたのにさ。」
ルーミネイト・・、その言葉を聞いた瞬間、ダンテの背筋が僅かに震えるのがわかった。
彼は目を大きく見開き、一瞬考え込んだ後、すぐさま羽を広げ、イコンに挨拶も告げず飛び立ってしまった。
「・・あーぁ・・、言っちゃマズかったかなぁ?」
イコンは口元に親指を当てて、少し面白くなさそうな顔をしながら、天空に消えゆくダンテの影を眺めていた。

9人の大天使の姿はいつの間にか消えていた。
その場に残ったのは・・大量の羽と・・負傷した天使たちのみであった。
天界城は既に修復されており、天界全体も、元通り、何事も無かったかのように安定している。
ただ、激戦の場となったこの場所だけが、そこだけ場違いな空間のように酷く荒んでいるのだった。
イコンはそんな天界の様子をひと通り眺めながら、目を細める。
悲しみと、儚さと、虚しさ。そういったものが、彼を支配しているようだった。
彼はただひたすらに、立ち尽くし、
傷ついた天使たちが手当されたり、緊急救命室に運ばれたりするのを、
漫然と、空気として体全体で感じ取りながら、天を見上げていた。

やがて天使たちはその場を立ち去りはじめ、天使たちの数は徐々に減っていく。
イコンだけがそこに取り残され、それでも彼は、動く気配がなかった。

いつまで経ってもイコンが帰ってこないので、
彼の上司であるトマスファリが迎えに来た。
「ありゃ、感傷に浸っていた?」
それまでピクリとも動かずに立ち竦んでいたイコンが、やっと目を動かす。
「・・・トマスファリ・・さま。」
「このまま放っておく?それとも無理矢理連れて帰られたい?」
「引き摺ってでも連れて帰るんじゃないんですか?」
「ん・・?」
「嘘です。僕がいないと困るんでしょ。帰ります。あそこが僕の永遠の家ですものね。」
「プフッ・・」
トマスファリが妙な笑いをした。
「・・なんですか・・。」
トマスファリの行動を掴めないでいるイコンは、顔を少し歪める。
「まるで誰かに強制されているみたいだ。」
「どういう意味です?」
「自分のことを籠の鳥だとでも思ってる?」
「っ・・・!」
トマスファリのその一言が、イコンの表情を一変させた。
イコンの赤い瞳がくりくりと光を反射して、
でも彼は・・静かに・・震えていた。
感情が読み取れない。・・・怒り?

イコンの視線は、無言のままトマスファリの方を見据えていた。
トマスファリもまた、イコンの方をじっと見返す。
お互いに言葉にならない感情を、静かに、視線によって衝突させているように見える。

しかしその近寄りがたい静寂は、イコンの異変により打ち破られた。
彼の体が突如、薄く歪み始める。
「アァッ・・!うっ・・っ!」
「イコン!・・・もうタイムリミットか。」
トマスファリが気になることを呟きながら、イコンを抱え、そして・・
彼は楕円状のものを3つ描いたかと思うと、イコンと共にその場から姿を消した。

辺りには荒れ果てた大地と、張り詰めた空気、そして・・
天使の惨たらしい残骸が、散っていった天使たちの羽が幾層にも折り重なって堆積していた。






《SideE:ヴァイオレット》

天界のずっと下層に、人間たちが住まう場所がある。
照りつける太陽、その容赦ない日射しは、まるで罪を背負った人間たちの懲罰の場であるようだ。



――ああ、きっと、僕は天界からも捨てられたんだ。



目を開けたくない。開けたとして、そこに僕の望むものなんてないんだ。
僕は映像を受信することを僕の中で拒否した。
世界と交わることを拒否した。

何もない、虚しくて侘しい世界・・・・

そうこれこそが僕のいる世界なんだ。
ずっと僕は、生まれた時からここにいたんだから。
なにも見なくて良いし、受け取らなくて良い。
全て拒絶して、みんなみんな、僕の世界にはなにも存在しないんだ。

ほら、安心じゃないか、これで安心だ。
もう僕を傷つけるものも、僕を恐怖に陥れるものも、
もう何もなくて、もう何も悲しまなくてよくて・・

・・・・あれ?
じゃあどうしてこんなに虚しいんだろう。
僕は・・・・・ここがいい、だって、ここが僕の世界なんだもん。

じゃあどうして・・?
どうして僕は今、この世界から抜けようと考えてるんだろう。
・・・・冷たい。
つめたいよ、これは・・・これは僕の・・涙?

涙なんて、もうとっくの昔に捨てたじゃないか。
悲しいことに、いつも涙なんて流していたら、僕の中の液体はすぐに枯れ果ててしまう。

そうだよ、涙なんて僕にはもう無くなったじゃないか。
ああ・・くるしい、どうしてこんなに僕の中の何かがざわつくんだ。
・・・・こんな世界、いやだ。
もうなにもかも、いやなんだ・・・。
僕を拒絶する世界も、こんな何にもない世界も、なにもかもいやだ。

どうすることも出来ない・・どっちへ行けばいいの・・?
教えてください・・・・・ローザ、せんぱい。


ヴァイオレットが流した、枯れたはずの涙。
それはやがて海となって、彼を渦潮に誘い始めた。
その先は、どんな世界だろうか、ここよりも暗いんだろうか。
でも、どこにも行き場がない僕には相応しい所かもしれない。
水嵩は増し、彼を飲み込んでゆく・・・。

もうすぐで、息が・・・できなく・・・・・・


海の水嵩がヴァイオレット顔に達した、その時、
・・・・バシャッッ!!!!

その瞬間ぼんやりしていた頭が一気に正気を取り戻すのがわかった。
激しくて冷たい何かが僕に被さったみたいだ。
「うう・・・・。」


「ちょっと起きた!?何してんのよ、紫クン。」
ぱっと目を開けて見る。
聞き覚えのある声。
張りがあって、力強い、僕とは対照的な、活気に満ちた声・・。
そうそれは、Nの声だった。
「げ、どうしたんですか・・。」
彼女を見て思わず飛び起きるヴァイオレット。
それもそのはず・・Nは相変わらず露出度の高い格好で、
道のど真ん中に仁王立ちしていたのだ。

「げっ、って何よげって!
アンタの方こそ何してるわけ?
こんな真夏の炎天下に道の真ん中で干からびてる天使なんて見たことないわっ。」

「あ・・」
ふと気づいてヴァイオレットは自分の服を触ってみる。
彼が着ていた服はぐしょぐしょに濡れていた。
それでもこのひどい暑さの中で、その湿気はすぐに蒸発を始める。

「・・・ぼく、干からびてたんですか?」

「そうよ、あんた一体何してたのよ。」
「目を開けたくなかったんです。」
「・・・は?」
「・・・・・・・・・・何でもないです。」
いじける素振りで目線を逸らすヴァイオレット。
Nはその様子を見て彼の置かれた状況を察する。

「えっとあんた確か、人間界に留まる・・のよね、天界から通達来たわよ。」
「・・別に人間界に留まりたいわけじゃあないです。」
「え、なによそれじゃあ、もしかして厄介払い?」
・・厄介払いと聞いて、ぐっと縮こまるヴァイオレット。
彼の胸がキリキリ音を立てているのがわかる。その音を誤魔化そうと、我武者羅に言葉を練り出す。
「・・・・・知りませんよそんなの、ルーミネイト様に聞いてください!」
快晴の空とは対照的にどうしようもなくどんよりとした彼を見て、Nは話すのを止めた。

そして次の瞬間勢いよくネクタイをワシ掴む。
「ぎゃっ!? ・・ぐ、ぐるぢぃ・・」
猫に急所を捕まれたネズミのような声を漏らし、ヴァイオレットは必死に抵抗した。
Nは構わずネクタイを引っ張りそのままどこかへ連れていこうとしている。

路地を2、3回曲がり、少し涼しい場所へ出た、それから川の土手を歩き、橋を渡ってしばらく歩くと住宅街へ着く。
その奥に、路地より低い位置に向かって道が伸びていた。
階段を数段降りると薄い紫のような小豆色の門があり、Nはお洒落な濃いピンクと金色の縁取りの木製の扉を開けた。
玄関を通りすぎ、奥まで行くと、右手にダイニングルームがあり、僕はそこにポイッと放り込まれた。
編み込まれた円形の絨毯が一面に敷いてあり、棚にあるオブジェは赤や紫色に輝く液体をコポコポと泡を立ててゆっくりと渦巻いている。


「ここ、自由に使っていいわ。」
「・・なんですか?ここ。」
「あたしのアジト。」

見た目こそ一般的な間取りの住宅に見えたが、
その独特のニオイは天使のものだとすぐにわかる。
それに、明らかに人間界には存在しない幾つもの不思議な物体がそこら中にあった。

「何なんですか、ここ。」
ヴァイオレットが再び同じような質問を繰り返す。
思わずそれにイラッとしたNは、彼を無視して別の部屋へ立ち去ってしまった。
そのNの態度を見て、再び、ヴァイオレットはイジケだした。

彼のいつものお決まりのポーズ。
両足を折り曲げて、その両足の中に顔を埋めるのだ。
そして悶々と考え込む。何か妨害が入るまで、延々と。

天界でもずっと彼は何かある度に、
お決まりの場所で、このお決まりのポーズを取りながら、
顔を埋めて延々と何かが解決するのを待ち続けていた。
しかし何時まで時を浪費しようとも、解決などやっては来なかった。
そんな彼を見続けて、堪らずに声をかけたのがローザだった。

・・・あぁ・・ローザせんぱい・・、どうしてるかな。
僕のことどう思ってるかな。いきなり天界からいなくなって、心配とかしてくれてないかな?

ローザは、ダンテ以外で最初に、ヴァイオレットに声をかけた天使だった。
彼女の持つほんのり甘い匂いと、その蕩けそうな愛情に満ちた眼差しが、
ヴァイオレットを一瞬で虜にしてしまう。
それに彼女は、妙なところが抜けていて、
何か悪い出来事に遭遇しても、アッサリと躱してしまう、
そんなノンビリとした彼女の性格が、内向的で根暗なヴァイオレットには
救いだったのかもしれない。

ローザ先輩は美人だし、すごく優しいし、うん誰にでも優しい。
それに僕を、他と違う目で見ない・・。、
・・・・・・・・・・・・・・・、
もしNさんの代わりにローザ先輩がいてくれたら・・
・・そんな想いが過った瞬間、



・・・・バシィッ!

まるで思考を見透かしていたかのように、
Nが手に持っていたタオルでヴァイオレットを叩いた。
「い・・・痛いじゃないですか・・!?」
「なに何時までグジグジしてんの!鬱陶しい!」
「ローザ先輩ならそんなこと言わない・・・」
「何?!なんか言った!?」
思わず小声で本音を漏らしてしまったヴァイオレット、
咄嗟に繕ってみたが、Nにその小声はきちんと聞こえていたらしかった。
「いい!?何時までも手も届かないような女なんて追いかけてるんじゃないわよ!」
「べっ・・べつに・・追いかけてません・・・」
まるで説教部屋にいるみたいだ。
ヴァイオレットはNの強い口調に反論することもままならず、
段々涙目になってきた。

今にも泣き出しそうなヴァイオレットを見て、流石にNも埒が明かないと判断したのか、
一旦台所へ行き、何かを手に持って帰ってきた。
「はい・・これ、もうこれでも飲んで大人しくしてて。
・・・あっ、でも、グジるのは禁止!部屋の空気が暗くなるでしょ!
ここ、あたしの神聖な部屋なのよ?あんた居候なんだから迷惑かけるんじゃないわよ。」
黙りこんでしまっているヴァイオレットに、一方的に喋りかけるN。
ぶつーっとご機嫌斜めなヴァイオレットはNに目線をやろうともしない。
そんな態度を受けて、Nも彼と対峙することをやめた。
Nは視線を窓の外に移し、自分の緑色の髪を左手で弄り始めると、ふとこう言った。

「そう、あたし、ノルディって言うの。」
「え・・?」
むくれていたヴァイオレットが、予想していなかった話題転換に思わず声を漏らす。
「ノルディ、これからはそう呼んでいいわ。」
少し決まりが悪そうな声色で、ヴァイオレットと目を合わさないまま、
彼女は腕組してそう言った。
「ノルディ・・・・さん。」
「・・さん?」
ノルディがぱっとヴァイオレットの方を見る。
何かまた怒らせるようなことを言ってしまっただろうかと、ヴァイオレットはビクついた。
「・・まぁ、いいわ、なんか気色悪いけど。
あんたって"さん付け"なのね、他人行儀で余所余所しいけどまあ、それもいいわ。」
ノルディの態度はどこか、彼女なりに、必死にヴァイオレットを理解しようとしているように見えた。

ピピッ、ピピッ・・

「あ・・?」
二人の神妙な空気を打ち破ったのは、何かの電子音。
ノルディはその意味するところがわかったらしく、ヴァイオレットをちらっと見てから、
すぐさま部屋の奥へと引っ込んだ。
ヴァイオレットだけは状況が把握できずに、ただぼんやりと、
奇妙な装飾が沢山施されてある家具や備品を眺めていた。

しばらくしてノルディが戻ってくると、ヴァイオレットの前で着替えを始める。
「わっ・・!わっ、な、なにしてるんですか!?」
慌てふためいて、思わず部屋の隅に移動し、ノルディに背を向けてみたが、
ヴァイオレットは彼女の様子が気になって仕方がない。
「出かけるから。あたし。」
「え・・?」
「こっち見るんじゃないわよ!」
「ごごごめんなさい!」
・・・咄嗟に謝ってしまったが、よくよく考えてみれば、ノルディの方から着替え始めたのではないか。
どうして見るなと怒られるんだろう。
自分の立場に不服を感じたヴァイオレットが、反論の言葉を胸に秘めて、
意を決して言おうとする・・・・が、

バタン。

それは入り口の扉が閉まる音だった。
どうやらノルディは着替えを済ませてさっさと出ていってしまったらしい。
必死の決意が不発に終わり、一気に気が抜けるヴァイオレット。
「はぁ・・何なんだよもぉ。。」
ノルディの家に一人残されたヴァイオレットは、
静まり返ったその状況を見て、漸く自分の置かれた立場を認識した。




―――ノルディがいない。僕はここにただ一人。
彼は辺りを見渡す。
見たことの無い珍しいもの、天界によく置いてあるオブジェ、そして・・
「ん・・これなんだろう・・・」
それは石版のようだった。何かものすごく古びていて、この部屋には似つかわしくない物だ。
文字が書いてあるようだが、天使文字とも、悪魔文字とも違う、人間界のどの文字でもないようだ。
無意識にその文字を指でなぞってみる。

「・・・あれ?この文字どこかで・・・」

ヴァイオレットがなぞる手を止めたのは、最後の文字に差し掛かった時だった。
角張ったその力強い文字は、二つの図形で構成されており、
見方によっては天使の羽にも悪魔の羽にも見える。

「・・・そう、この文字どこかで・・・」

一生懸命に記憶の糸を手繰り始めるが、どこだったか思い出せない。
「羽・・羽みたいだって思ったんだ。」
「僕の羽みたいだって・・・。どこで見たんだっけ・・。」
思い出そうとするうちに、ある光景が浮かぼうとして、急に、胸がキリキリ痛み始める。
「なにか確か嫌な出来事と一緒になっていたんだ、だから胸が苦しい・・。」
その後にヴァイオレットにとって嫌な出来事が起こった。
その為に、その文字を思い出すことも、困難になっていた。

・・・そこまでは思い出せたのだが・・・。
思い出そうとすると、嫌な記憶が次々に連想される。
さっきまで少しだけ忘れていた、自分が天界から追放されたんだという想いも、
僕はついに見捨てられたかもしれないという恐怖も鮮明に蘇ってきて、ヴァイオレットの前を大きく黒く覆う。

そんな苦しみの渦中に戻ったヴァイオレットは、無意識に手に取っていた石版を放り出し、風呂場に駆け込んでいた。
肌を萎縮させるような冷たいシャワーを浴びながら、彼は力なく座り込んでいた。
彼の服はノルディに水をかけられた時よりずっとびしょびしょで、ローザが繕ってくれた左側の内ポケットも、
ルーミネイトから貰った護身用のお守りも、冷水に打たれて沢山の雫を上から下に流す。
枯れてしまったヴァイオレットの涙に代わって、シャワーから零れ落ちる滴たちが、一生懸命に彼を癒そうとしているようだった。

―――それから幾時が経っただろう。
身も凍えるような冷たい水に打ち続けられているうちに、ようやく彼の思考が正常に働き出す。

僕はもう、このままじゃ一歩も動くことすら出来ない。
悲しみと憎しみと疑念で、本当の悪魔になってしまいそうだよ。




・・・もうどうでもいい。
天界のことも、他の天使たちのことも、もう忘れてしまおう。
僕が抱く疑念も恐怖も全部、もうどこかに捨て去ってしまおう。
ヴァイオレットは自分の中で『天界』の二文字を必死に抹消し始めた。
「・・・・そうだ。ここにもいちゃいけないよね。」
ノルディ、ここが彼女の家である以上、嫌でも天界と関わってしまう、
思い出したくない記憶や、天界に対する疑念を嫌でも抱き始めてしまう。


ぐっと、ヴァイオレットは唇を噛んだ。
「もう誰もいないところに行こう。何も思い出さなくていいように。」
―――彼はひと通り身支度を整えてから、ノルディの家の前に立った。
きっとこれが一番良い選択なんだ。
彼は祈るようにそう心のなかで唱え、そしてノルディの家から姿を消した。






そんなことを知る由もなかったノルディはその頃―――――


「ノルリン、ノルリンお帰り〜!」
「あ、うんただいま。」
「もぉそっけないなぁ、ハグしてよ、ぎゅ〜!ってね。」
「いたい。むさ苦しい。」
「ひど〜い、ヒスナのこと、恋しく無かったの?」
「昨日会ったばっかでしょ。」
「もう48時間も会ってなかったのよ〜!」
「人間界だともっと短いわよ。」
「そんなの知らな〜い!」
天界に帰還していたノルディは、ヒスナという天使の熱烈な歓迎を受けていた。
「あっ、ノルちゃんお帰り!」
別の天使がノルディに駆け寄る。
どうやら彼女、その妖艶な姿とは裏腹に、意外にも女の子たちから好かれているようだ。

「今から報告に行かないと」
ノルディは身なりを整え、浄化を済ませてから彼女たちに別れを告げようとする。
「え・・今は駄目よ。天界がさっきまですごいことになってたの知らない?」
「何のこと?」
「ヒスナてっきりノルリンはあたしたちのぴんちに駆けつけて帰ってくれたんだと思ったのに違うのー?」
ヒスナともう一人の天使が交互に話す。
「だから何のことよ。」
ヒスナたちはノルディに天界で起こっていた大事件。
少女が神に向けて攻撃を放ったこと、そして天界が崩壊しかけたことを話し始める。




≪sideF:ダンテ≫

そう、天界では、今各地で様々なことが起こっていた。
一見何事も無かったかのように綺麗に修復された天界であったが、
天界中央部では、天使の重要人物たちが、何人も姿を消していた。
そして彼らの部下たちが今も天界各地を巡り、彼らを血眼になって探しまわっている。
その天使たちの中に、彼も含まれていた。


「ダンテ・・!もうやめなって!」
ダンテの同僚の天使が止めに入る。
「構うな、放っておいてくれ!」
大量の天使用探索装置を両肩に引っさげ、ダンテはルーミネイトを探していた。
「はぁ、わからん奴だな!他の大天使様たちもいなくなってるんだぞ、
もしかしたらどこかで重大な任務をこなしてるのかもしれない。」

「得体の知れない奴がいきなり天界に入り込んで天に向けて攻撃を放った、
そして大天使が大勢いなくなっていた。
こんな妙な事件が二つも起きているのに、黙って屋敷に篭っていられるか!
ルーミネイト様の御身に何かあったのかもしれない!」

「落ち着けよダンテ、目が血走ってるぞ、お前が独りでどうこう出来る問題じゃないだろ!」
「ならお前も協力しろ。」
「なに!?」
喧嘩でも始まりそうな気迫の二人の天使。
しかしそれを破ったのは・・、イコンからの通信。


<ねぇ、ダンテ、聞こえる?>
「・・・!なんだこんな時に!」
思い切り不機嫌なダンテの低い声色。
<君に伝令だよ。彼女に会えるって。>
「何の話だ・・」
<天に向かって攻撃しようとした彼女、特別制御室で目覚めたよ。>
「・・・なに!」
<ダンテが彼女を取り調べて良いって、さっき許可が降りたんだ。>
「・・・・・っ!」
ダンテは直ぐ様両翼を目一杯広げて踵を返す。目指すは彼女の居場所。
ダンテの突然の挙動に何が起きたのか全く状況が掴めないでいる同僚の天使は、慌ててダンテを追いかけた。
通信内容は第三者には聞こえないのだ。




―――特別制御室、それは主に、
力ある者を完全に封印し、且つその者に面会するための部屋。
その部屋に入ると、あらゆるエネルギーが奪わる。
長居は出来ない上、敵も味方もそこではあらゆる力を行使することが出来ない。

ダンテが管理者の天使と対面し身分を示すカード状のものを見せる。
管理者は頷くと、門番の天使3人に合図を送った。
門番の天使は所定の位置につき、3人がかりで呪文を唱えた、
何重にも重なるロックを解除し、特別制御室への扉が現れた。
「安全のため10分ごとに自動的に出口が現れます。
貴方に許可された時間は10分だけですので、10分経って出口が現れたら必ず外に出てください。
それ以降の安全は保証致しません。10分を待たずに緊急事態に陥った場合はこれで合図を送ってください。」
赤くて細長いものを渡された。どうやらこの中に入ってしまうと通常の通信すら遮断されるらしい。
ダンテは一呼吸置いて部屋の中に入る。部屋の出入口は直ぐ様閉まり、部屋は完全に密閉状態となった。

奇妙なくらい真っ白な何もない部屋。
神聖さの象徴のはずの白という色が、そこではまるで発狂を促さんばかりの逃げ場を与えない完璧な白を保っている。
その中央には紋様があり、豪奢な鎖で四肢を巻きつけられている少女が一人。
少女は両足を前に放り出し、力なく座り込んで壁に持たれかかっている。
反抗する様子など全く見られないどころか、彼女の瞳はとても純粋そのもの。
天界を危機に陥れたとてつもない力を持った凶悪犯・・などというイメージなど何処にもない。
ダンテはあまりに無抵抗な様子の少女に一瞬戸惑いを覚えた。
が、直ぐ様気を引き締め直し、話を切り出した。



「貴様、何者だ。魔界の差金か。」
「魔界・・・しらない。」
「知らない?見習い天使でも魔界の存在ぐらい知っているんだぞ。」
「しらない。」
彼女のとても率直で素直な受け答え。ダンテは若干首を傾げながら続ける。

「なぜ貴様はあろうことか天に向けて攻撃を放った?」
「・・・???」
「惚けるふりをしても無駄だ。答えろ。」
「・・・・・・・」
沈黙を続けている少女。
色々質問の仕方を変えて聞いてみるが、答える気配がない。
少女はそのことについては始終、きょとんとした顔をしていた。

「・・もういいっ!じゃあお前の知ってることは何だ!」
「しってること・・・・しってること・・・・・」
「何でもいいから答えろ。」
「・・・・・あなたのお母様は悪魔と交わった。」
「・・・・・・・・・・・!!!!??」


なんだ、気のせいだろうか、先程一瞬少女の目つきが変わったような・・。
ダンテは予想だにしていなかった自分のことを言われ、酷く狼狽する。


「どうしてそんなこと知っている!!」
「・・・・しらない。」
「お前は何なんだ!?」
「何・・?」
「そうだ、お前は天使なのか?悪魔なのか!お前は一体何なんだ!」
「わたし・・・・・・は、・・・・・・しにがみ?」
「しにがみ・・死神だと!?」
「そういってた。」
「誰が言ってたんだ!?」
「・・・・・おぼえてない。」
(くっそ・・肝心なところは全てはぐらかされる。)


死神・・それはとても微妙な言葉である。
天使にも死神のような役目を負うた天使たちはいる。
しかしハッキリと死神というようなものが存在するのか、ダンテには全くわからなかった。

「じゃあルーミネイト様について何か知っているか?」
「ルーミネイト?」
「そうだ。他の大天使たちも大勢消えた。お前は原因を知っているんじゃないのか?」

「・・・・・・・・ルーミネイト・・・」
「・・・・・どうなんだ!」
「・・・・・・・・・・。ルーミネイトはここにはいない、第七層目、閉じられた部屋。」
「・・・七、七だと・・!!」
これまた予想もしなかったことを言われ、息を呑む。

その瞬間ダンテの中で何十もの疑問が浮かんだが、それらを悠長に質問していく余裕はなかった。
「第七層・・・・お前どうしてそんなことを・・あそこは上級天使すらも自由に出入り出来ない特別な場所だぞ。」
「何かをしらべている。でも、ルーミネイトはもう、虫の息。」

「なんだと!?何を言ってるんだ!?お前何を知っているんだ!どういうことだ教えてくれ!!」
混乱と錯乱と不安がダンテを支配し始める、口調は段々と命令から嘆願に変わり・・、
「その天使は、天界の修復と維持に多くの力を使った。天界は今、彼のお陰で持ちこたえた。でも」
「どうすればルーミネイト様を助けられる!?」
悲嘆の表情がダンテに現れ始めた。


「あなたでは無理。あなたの生命回転数では第七層にすら入れない。」
目を細め張り裂けそうな苦渋の表情を浮かべながら、ダンテは今までで一番、
自分が未だ中級天使に留まっていることしか出来ない事実を恨んだ。


「こっちに来れば良い。」
少女が意味不明なことを呟く。何のことだかわからないダンテは無言のまま少女を見た。
「空間を超え、次元を超え、世界を超え、全ての秩序を破って、こちらに来ればいいの。」
「そうしたらルーミネイト様をお助け出来るのか?」
「わからない。けど、たのめばいい。」
「何を?」
「両方の存在を持つもの。」
「両方?」

ジジジジッジッ・・・・フィーン!

その瞬間出口が構築され始める。もうタイムリミットの10分に達したらしい。
ダンテはさっきまでの質問の流れをふいに忘れてしまい、唐突にこう聞いた。
「貴様、名前はあるのか?」
「・・・・・・・・うん。きっと。」
出口の外枠が出来、そして・・出口がほぼ完成する。
外から天使が出ろと合図を促している。
「貴様の名前はなんだ?」
綺麗な水色の眼差しですっと見上げる。迷いのない清純な瞳で彼女は告げた。
「・・・・・レナシー。 レナシートルテ。」




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