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[5]緩歩のあしあと(page3)

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緩歩のあしあと 《もくじ》
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「アーシャ〜、アーシャ〜〜、いる?」
半球形のたくさんの物体がふわふわと入り混じった混雑した空間。
空間が天と地に無限のように続き、どちらが上で、下で、右で左なのか、方向感覚が混乱してくる。
ローザとダンテは沈黙の中にいたが、しばらくした後、急に右上の方から球体が近寄り、
中からポクッ!とちっちゃな女の子が飛び出してきた。
「アーシャでつよ、何か御用?」
彼女はモノクルのようなものをかけ、小さくて可愛い小人のようだが知的な雰囲気を纏っている。
「こ・・これを解読して貰いたいんだが・・」
ダンテがおずおずと本の中身を見せてみる。
「・・・いいでつよ。・・でも。」
「・・・でも?」
「なんでこのご本、変なカバーがかけてあるんでつか?」
「・・そこは気にしないでくれ、カバーは外さずに、解読してほしい。
それとこの本の内容は誰にもバラさないと約束して貰いたい。」
ダンテは続けてそう言った。ローザの時とは少し違い、なんとなく紳士的な物言いだ。
「・・・ふぅ〜ん?なにかぢぢょーってやつがあるんでつね。リョウカイでつ。ローザさんの頼みでつし。」
「ホント〜?ごめんねアーシャ!とっても助かるわ〜。」
ローザは顔が広い、信頼も厚い、そして一人一人の天使に丁寧に感謝の気持を表し、施す。
そして誰に対しても親身に受け答えをし、さらなる信頼を獲得していく。
ローザみたいな天使こそ、本来の天使というべき存在かもしれない。

「じゃ、この契約書にサインを。」
先程のあたたかなムードとローザの感謝の言葉をしれっと打ち消して、ダンテは契約書を突き付けた。
「・・これは、術で口外出来ないようにしばるつもりなのでつか?」
「ちょっと、なにもそこまでしなくっても・・」
ローザがすかさず止めに入る。ダンテが示した契約書というのは、
実際に口外出来ないように、天使の術で縛るもので、温厚な天使の間ではあまり使われないシビアで冷淡な方法とされる。
「・・よほどキケンなご本のようでつね。」
「俺は心配性なんでな。念のためだ。」
「・・・・ローザさん、このご本、大丈夫なものなんでつか?」
「・・・う〜ん、私にも・・わからないわ。」
そこで、沈黙がしばらく続いた。
そしてアーシャがこう言い始めた。
せめて、本の背表紙を見せて欲しいと。
ローザのことは信用しているが、初対面のダンテのことは、まだ信用しきれないし、
ダンテの突き付けた契約はアーシャにはリスクが伴うのに、何の見返りもない・・、
これではアーシャだけに不利だと。
そこでダンテが見返りに色々な品を提示してみたが、アーシャは納得しなかった。
ダンテとアーシャはしばらくごねあっていたが、結局、ダンテはアーシャの欲しい物を持っておらず、
背表紙を見せるという形でダンテが折れた。
戦いに敗れたダンテはどんより目を曇らせながら、トッヘルに力を封じられてさえいなければなどとブツブツ繰り返していた。
すごくいたたまれない姿のダンテを、ローザはただ横で見守っていた。
アーシャの本の解読には手間と時間が必要だった。
ダンテがようやく折れて本をアーシャに渡し、アーシャがそれをじっくりと読んでみたところ、
解読には助っ人が必要だとわかったのだが、ダンテはこれ以上この本のことが他の天使に知られるのが嫌だと必死でごねた。
その結果アーシャは門外漢であるローザとダンテの頼りない助手付きのもと、3人で解読に当たることとなった。
その本は、一般の天使が解読出来ないように、何重にも術がかけられており、
術を特定して解除する、その作業の連続だった。
最初のいくつかの術を解除出来て、順調に思われていた読解作業だったが、
途中で急に壁にぶち当たった。極めて珍しい術がそれに施されており、この術は通常の方法では解くことが出来ないらしく、
ローザが何度も解術の魔法を使ってみたが、一向に術が解ける様子がなかった。
調べていくうちに、それは特殊な天使の魔法で解けることがわかった。
その解術法は、いくつもの調子の違う周波数を一定のレベルを保ったままぶつける・・、
これは天界での歌天使が行使する魔法とよく似ている。
通常の天使が使う魔法ではこういった特異な真似は出来ないのだ。
さらに歌天使の助っ人が必要ということで、ダンテの目は再び淀んだ。
しかしこの術の解除で、かれこれ、人間界で換算すると18日ぐらい費やしていたため、
これ以上長引かせられる余裕はダンテにもローザにも無かった。

「そういえば、歌天使ってなぜか、お喋り好きな天使が多いわよね。」
そんなことをボソッとローザが言って、ダンテをさらに追い詰めた。
せっかくアーシャを口止め出来ても、歌天使から軽〜く本のことがバレてしまってはたまらない。
口止めの契約をさせる前に途中で逃げられて、ダンテの居場所を触れ回られてもたまらない。
ダンテはさらに頭を悩ませているようだった。
ダンテの知り合いに歌天使は少ないため、ローザの知り合いの中でなるべく口の堅そうな歌天使を探していたが、
ふと、アーシャがこんなことを漏らした。
「そういえば、新しく他の天界から来た子が、確か・・歌天使だったでつね。」
ダンテがすかさず、口が堅そうか尋ねたところ、その子はあまり喋らない子らしいとアーシャはいう。
そしてその歌天使は、こちらの天界に来て間もないため、まだ天界の最下層あたりにいるのではないかという話だ。
ローザとダンテはその歌天使を最下層まで探しに行くこととなった。


―――――天界。それは天使たちの住まう場所。聖なる者たちの集う場所。
あらゆる生き物を見守り、監視し、時に手助けする。そんな者達の世界。
そして天界は、ひとつだけではなかった。
この天界に住まう者達は、ほとんどそんなことを意識しない。
今までは、天界は孤立し、遮断されていた。
故に外からの、特に他の天界からの来訪者は極めて少なかった。
なのにここ最近になって、どうしてだかぽつり、ぽつりと、外からの者が来るようになった。
ノルディはその原因が、人間界の極楽地獄と関係しているのではないかとも考えていた。
かつてこのヴァイオレットたちが住まう天界を、ティラ・イストーナ・セルミューネと呼んでいた。

「・・それで、その天使の名は?」
―――――りんご。そうアーシャが答えた気がした。
りんご、・・果物の?他の天界から来た天使がそんな名前をしているなんて、そう聞き返すと、アーシャはこう言う。
あの子の名前はこちらの世界の者が名付けたらしい。
禁断の果実としてイメージされる邪悪の意味を持ったmalus。
本人が元々の名前を嫌がっていたので、同じようなイメージのこちらの名前を付け替えたのだそうだ。
ちょうど髪の色も赤々としていて、りんごのイメージがピッタリ合うらしい。

「どんな子なのかしらね〜?」
天界の最下層までの移動中ずっと黙っていたダンテに、終に痺れを切らしてローザが話しかける。
しかしやはりダンテは黙りこくったまんまだ。
ローザは何かの機会に度々会話を試みるが、ダンテは始終そんな調子だった。
やがてローザは諦めて溜息をつき、目まぐるしく変わっていく辺りの景色を眺めていた。
「―――来た、ここだ。最下層で、他の世界からの通路が出来易い場所。」
急にダンテが口を開く。その言葉で我に返ったローザは辺りを見回し、赤っぽい髪色の少女を見つける。
「あ、あれじゃない?」
最下層のそこは、視界が悪く、もやのようなものが辺りに立ち込め、どんよりとした茶色や白の歪みの中に、
一点だけ赤がぽつっと、存在していた。
派手なその髪色は視界に捉え安く、すぐにその歌天使だと判った。
「まるで、冥界ね」
ローザがそんなことを言った。それもそのはず、この場所は特に場が不安定になっており、
目の前の光景はまるで・・、幾千万もの凄烈な争いの末出来上がった赤黒い戦場の枯れ果てた大地。
そして立ち込める硝煙の中、セピア色と化したその世界に独り佇む赤毛の少女がいる。
そんな苛辣な光景にぐっと歩みが重くなるローザとダンテ。
少女はこちらに気づいたようで、少し首を傾げてから、ゆっくりとこちらに向かってお辞儀をする。
その態度を見て少し安堵し、ローザは彼女に話しかけてみた。
すると少女はこう訊き返す。
「ここの壁が薄くなっているのは、漸く私達を受け入れる準備が出来たと、そういうことですか?」
彼女の言葉の意味とはつまり、地球の天界の壁が薄くなり外から来た者が入りやすくなったことは天界の意志なのか、
とそういうことだろう。
「いや、恐らく関係ない。上の奴らの考えていることはわからんが、動向を見るに奴らの意志とは無関係に起こっていることだ。」
ダンテがそう答える。
上の奴らというのは天界上層部の天使たちのことだ。天界上層部の天使は神と相見えることが可能なのだそうで、
神の意志を知っているのも、天界を実質的に、いや世界の流れを動かしているのも彼らだと言われている。
ダンテやローザたちのような中級・下級天使は天界の中階層ほども登れない。禁止されていることもあるが、
エネルギーが強すぎて力無き者には進めないのだ。
「・・それはそうと。」
ダンテが本題を切り出した。確認したところ、やはりこの少女が例のりんごと名付けられた歌天使なようだ。
そして協力を求めると、二つ返事でアッサリ承諾が得られた。
言葉数は少ないが、彼女は礼儀正しくまた頭を下げてお辞儀した。
赤い髪をゆらゆらと棚引かせ、りんごはこう挨拶した。
「わたしは、プリトナ。リンゴ・プリトナ・カルテット。モンデイ・デュタ天界から来た歌天使です。」
りんごの橙色の目はしっかりと見開かれ、前を、自分を、未来を見据えているようだった。

3人は歌魔法行使のための聖地へと向かう。
そこは遥か昔、天使と悪魔の戦いで、天使が天界を守る時に使った最後の砦。
歌魔法を増幅出来る聖域だ。
りんごの歌魔法を増幅し安定させる手助けをするために、ダンテとローザが配置についた。

Cultu-------!
詠唱が始まる。魔法が徐々にりんごを中心に展開され始めた。
Timti---en-----a-----

Mon-naoun--Callmun-----thu---

i-----af----u-v----E----


zsho----chua----nel----En----


Hul--s----e---a----u---

Mis---so----lo----e---A---

Lun-lin--lun---lun-----la---!


調子が速い、詠唱に補助が付いて行かない。
ローザとダンテはりんごの素早い詠唱について行けなくなっていた。
しかしこの解術にはこのスピードの詠唱が必要だとりんごは理解していた。


Pim--pim-----pim---tele---aauuu-----s---!

歌魔法のあまりのエネルギーに、ダンテは押されていた。
膨大な魔法を処理しきれなくなり、朦朧としてきた。
ローザとダンテの補助が明らかに追いつかなくなってきたために、
りんごがミスを犯せば、そのままその間違いが増幅され、間違った魔法が本に届いてしまうことになる。
本の防御能力がどれほどかは未知数だが、下手をすれば、本ごと焼き消されてしまう非常に深刻な事態だ。
りんごはそのまま詠唱を続けるしか無かった。
途中で止めれば、詠唱ミスと同じような効果が出て、間違った魔法が本に行きかねないからだ。
ローザとダンテの2人はもはやクタクタになっていた。
ローザの方は辛うじて持ちこたえていたが、ダンテはもう気力が薄っすらとしか感じられない。
そんな事態になって初めて2人は事の重大さに気づいたが、もうどうしようもない。
歌詠唱の補助は歌天使を含め奇数人数が望ましいとされているため、術の安定にはローザとダンテの2人ともが必要だったが、
ダンテは実質力を封じられて無力に等しいので、ダンテの代わりを呼んでこようという話になったが、ダンテがそれを拒んだのだ。


―――長い、とても長い、戦いが始まった。
3人の天使の精神状態は異常な事態になりつつあった。
徐々に高揚し、錯乱していく精神。早まる鼓動。昇天した先を、さらに突き進むが如く、
3人は超越した領域を進んでいった。
神の領域、絶大なる力、超越した高速さで走るコンピュータの電子世界。
そんなものをいくつも、何度も、ウンザリするくらい垣間見て、歌魔法はひたすらに続く。
途中でその場を通りがかった天使のことも、歌の詠唱が始まってからどれだけの時が過ぎたかということも、
3人の天使は認知する余裕すら無かった。
長い長いプロセスを、いくつもいくつも、いくつも経て、それは気づけば止んでいた。
記憶はいくつも飛んでいて、もう頭は真っ白。ただ無我夢中だった。
たかが歌魔法、と侮っていたダンテは既に意識を失い、その場に倒れていた。
ローザは、辛うじて立ってはいたが、呆然とした様子で、口を薄く開いたままだった。
その場は一気に静まり返っていた。
誰も、何も、喋ろうとはしなかった、否、喋ることが出来る力など残ってはいなかった。


膨大な歌の魔法の後に訪れた、長い静寂。そしてやがて、歌天使のりんごが、我に返り、目の前の本を確かめる。
本の中身は様変わりしていた。黄色い文字が光りながら動き、何かを伝えている。
・・・・・解術の歌魔法は、どうやら成功したらしい。
やがて、ローザも、枯れ木の細い棒のようになった足を引きずりながら、りんごの方へやってきて本を確かめる。
ふっと一瞬笑みを浮かべて、ローザはそのままその場にへたり込んだ。
そんなローザにりんごはこう言う。
「ダンテさんを起こして。ここは歌魔法の聖域、誰が来てもおかしくない、目立ちやすい場所。」
ハッとローザもそれを受けて辺りを見回すが、これといって他の天使などは見当たらなかった。
(でも、そう、りんごの言う通りだわ。早めにこの場所を離れないと、でも・・)
「ごめんなさい、私、もうしばらく立てそうにないの。」
(りんごはあれだけの歌魔法を繰り出して、平気なのかしら?)
ローザは動けず、そしてダンテも意識不明。
結局りんごは一人で、この本を安全な場所に持っていくことになった。



その後、無事りんごは本をアーシャの元へ届けたが、
一番回復が早かったダンテに比べ、りんごは何ヶ月もの間、歌魔法を使えなくなっていた。
「我慢強い子ね、りんごって・・。」
回復し終えたローザが、巻き髪を整えながらそう呟いた。
「私、てっきりりんごは平気なんだとあの時思ったのよ。でも一番無理してたのね。」
ダンテが黙って横でそれを聞いている。
彼の視線は外を向き、彼もりんごのことを考えているようだった。
あの脅威の力。でもそれと引き換えに、今もりんごは寝込んでいる。
ダンテはなんとなく申し訳なさそうに、目線を落とした。
「ダンテはいつ目覚めたの?私より早かったんでしょ?回復。」
ダンテはふいっとローザの方を向き、まぁな、と言葉を濁した。
いつ目覚めたか、だなんて、一番初めに気絶してしまったダンテにとっては非常に答えたくない内容だ。
「やっぱり他の天使に助っ人に来てもらうべきだったのよ〜」
ちくりとダンテが気にしていることを言うローザ。
ダンテとしてはぐうの音も出ないが、ここはあえて黙りながら我慢。
「でも、ダンテも、りんごも、同じなのね。」
「・・・なにがだ?」
「りんごもダンテも、2人とも独りで頑張っちゃって無理するところ〜」
目を開き、眉を顰めてローザを見上げるダンテ。
なぜ俺とあの歌天使とが一緒にされるのかがわからない、といった風だ。
「・・・頼らなきゃ、ダメよ?もっと。私にも、他の天使にもね。」
ローザは包み込むような優しく低い声で、諭すようにそう言った。
とてもローザが心配してくれていることがダンテに伝わったのか、
ダンテは笑みに似た表情でフン、と鼻で返事をした。

「本はどうなったの?」
「今、アーシャが解読に当ってくれている。」
「まだかかってるの?もう随分立つのに?」
「・・いや、もうそろそろ出来る頃だろう。お前も動けるようになったんなら丁度いい、一緒に行ってみるか。」
2人はアーシャの元へ、当たり前の道を進み、当たり前の順路で、いつもの様に、そこへ向かった。

・・・・・だが。




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