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[6]墜地の果て(page6)

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墜地の果て 《もくじ》
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仄かに光る色とりどりの角砂糖。
紫、赤、青、ゆらゆらと揺れて天井でダンスする。
怪しくて妖艶な雰囲気ただよう場所。くらくらして、飲み込まれてしまいそう。
壁で蠢くゴーストたち。ギャラギャラと木霊する笑い声。
ヴァイオレットはぼんやりした心地で眠っていたのを、突然やってきた静寂によって起こされた。

「いらっしゃーい。」
静寂とともに男の姿をした悪魔がやってきて、ニタリと怪しく微笑んだ。
赤い髪をしたその悪魔は全身に魔を封じ込めた黒い布を巻きつけていた。
この黒布は封印なのか、それとも絶大なる力を引き出すための魔道具なのかはわからない。
がっしりした男らしい体格、それでいて足元はスラっとしている。
その悪魔が放つどっしりと重々しく揺るぎ無い雰囲気から、中〜上級悪魔なのだと推測できる。
手には悪魔が使う魔具を持ち、すっとヴァイオレットとの距離を縮めた。

「自分自身を見捨てた感想はどう?」

男が突然そう呟いた。風のように軽く、ちょっとキザな声。
しばらく待っても返事がない。ヴァイオレットは押し黙って男のほうを見ようともしない。
沈黙が流れ続けた。男は両肩を竦ませ、やれやれ、といった態度をとって奥の方へ戻っていった。
奥のほうで声が聞こえる、さっきの男と誰かが話しているようだった。
ヴァイオレットには言葉も紡ぐ気力が持てなかった。
しかもやっと自分の暴走を止められた矢先にそんな不躾なことを訊くだなんて・・。

次の瞬間、一瞬にして気配が変わった。紫色だった空間が、
一瞬にして黄色い渦に呑まれるような、そのくらいの変化だ。
ヴァイオレットは背筋をびくっと震わせた。彼はとても敏感になっていた。
あらゆるものに、あらゆる負のものに。
ふと前を見ると、さっきとは違う男が立っていた。
(あれは・・・)
ヴァイオレットは目の前に現れた人物が誰か、うっすらと覚えている。
(魔王って言ってた・・・、元、魔王って・・・・。)
そう、ヴァイオレットをパトリの脅威から救ってくれた、あの魔王だった。

彼はガハハハと大きく笑っている。良い悪魔なのかもしれない。
でもヴァイオレットにはそんなことはどうでもよかった。
最悪の事態からは救われたけれど、状況は何も変わっていなかった。
それどころか、前よりもずっと悪い。
ぼくは勢いに任せて・・・・・ものすごく大きすぎる罪を、犯したのだ。
もうローザには会えないし、天界にも戻れない。
天界はぼくのことを血眼になって探しているだろう。
そう、ぼくを殺すために。
ダンテはどうしただろう。うまくやっているのか、それとも、兄のぼくがこんな大罪を犯したから、
ダンテも無事ではいられなくなったかもしれない・・。
でももうそれ以上のことは考えられない。
天界の、少数だけど存在していたぼくを信じてくれる天使たち。
その天使たち全員をぼくは裏切ったんだ。彼らがぼくに向ける白い目と失望がはっきりと今想像できる。
でももういい、もういいんだ、誰かを失望させても、落胆させても、そんなことは今となってはどうだっていいことなんだ。
ぼくは魔王になって、最悪の苦しみの中にいて、でも夢中でもがいて、激苦からは逃れられたけど・・、
でもそれで・・?それだけなんだ。なんにも変わっていない。全て終わったんだ。
もう何もかも終わった。終わりなんだ。ぼくは生きていく価値がなく、多くの天使がぼくを殺しに来るだろう。
何もかもが、終わってしまった。

「グワアッッ!!!!!」

無気力な思考を続けていると急に前方からすごい大声で喚かれた。
「我輩の話を聞いていたか?」
相変わらずな大きめの声量と、軽妙で陽気な声のトーン。
魔王といえばもっと怖いイメージだけど・・本当に彼が元魔王なのかも疑わしい。

「時に、お前は何故、己を捨てたのだね?」

さっきの男と同じことを訊かれている。でも・・・答える気がしない。
何故捨てたか?それしかもう行く先が無かったんだ。どうしようもできなかった。
ぼくには他に選択肢なんて用意されていなかった。
暴れ狂う悪いものを、憎悪を、悲しみを、怒りを、積もり積もった恨みを、苦しみを、全部開放してやりたかった。
全部放つしか無かった。ぼくの中に置いておくには、もうそれは、その悪はあまりに大きすぎたんだ・・。

ヴァイオレットが何も答えないので、男はぐいっと下からヴァイオレットの顔を覗きこんだ。
ヴァイオレットは顔を覗かれるのがそんなに好きではない。心を許していない人物は特にだ。


「お前はただ勢いに任せて一時、仮の魔王になったにすぎない。」

そう言われ、ふと顔を上げ、男と目が合ってしまった。


「負はエネルギーだ。お前は多くの負を生まれながらにもらってきたのだな。」

「ぼくが?」


「憎しみ、嫉妬、怨み、怒り、悲しみ・・それらは全て、負のエネルギーだ。
悪魔は負のエネルギーを得て大きくなる。」

「あんなの・・・苦しいだけです。死んだ方がずっとマシだ・・。」


「そうだろうとも、お前はそのエネルギーを制御できず、己を傷だらけになるまで引き裂いているのだからな。」


・・そう言われ、無気力だったヴァイオレットは徐々に男の話に関心が沸いてくる。



「悪魔になる為に必要なことは、負のエネルギーを完全に支配することだ。」
「・・・・支配?」

「上級悪魔は得てして冷静であるものだ。表でどんなに狂気や憎悪を滲ませようとも、芯の部分では完全に己を制御出来ている。」


さっきからある違和感・・・。そうだ、ぼくは、別に悪魔になりたいわけじゃない。


「なんだ悪魔では不満か?まさか天使になりたいのか?
フハハハハハハ!魔王になっておいて天使を望むなど・・」

「そ、そんなこと・・・!」



「面白い!なってみるがいい。魔王になったお前が上級天使になれたなら、我輩は大いに感嘆するだろう!」

「え・・・?えと・・・・あの・・・」

ぼくは別に・・・悪魔になりたいわけでも天使になりたいわけでもない・・。
・・そうそんな、贅沢なものじゃない。もっと根本的なものなんだ。

ヴァイオレットが怪訝そうな顔をしているのにやっと気づき、男は大笑いをやめた。


「ま、お前が何者になりたいのでも構わん。ただ物事の本質は同じだろう?」
大きな手で、男はヴァイオレットの頭をガシガシと少し乱暴に撫でた。
まるで大きなライオンみたいだ・・。


男はこう言う。


ヴァイオレットはマイナスのエネルギーを沢山得てきた。
それは一見不幸なことに思えるかもしれない。
だが負のエネルギーも大きな大きなエネルギーの一つに違いはないのだと。

ヴァイオレットは大きなエネルギーを内に秘めた存在なのだ。
今は負のエネルギーに振り回され息も絶え絶えだが、
それはうまく使えば大きな大きな武器となる。

でもそんなことを言われても、ヴァイオレットは腑に落ちない。
今までどれほど多くの時を苦しみ喘いで来たことか・・。
今までどれほど多く、意識が消滅して欲しいと願ったことか。
そう、どこにも居場所はなかった・・。
世界の、宇宙の、どこにも、居場所はないと感じていた。
だからもう、どこからも、ぼくの存在など・・・抹殺してしまいたかった・・・。

・・・なのに、なのにどうしてこの悪魔はこんな変なことを言うんだろう。

「負はエネルギーなのだ。だからお前はそのエネルギーを自由に自分のことの為に使えるのだ。
天使になりたければ、負を転換して、それを正の方向に放出すればいい。」

「・・・簡単に言わないで下さい・・。」

ヴァイオレットは結構不機嫌な顔をしている。
それをわかっていて、魔王の方は平然とした面持ちだ。

「忘れることだ。何もかも。怨みもすべてな。」

「だから簡単に言わないで下さい・・・・!!!!」

ヴァイオレットが段々といきり立ってきた。魔王もさすがに話を中断させた。
そして魔王は、一呼吸おいてから、少し表情をこわばらせてこう言う。


「お前がそうなったのは、神とかいうものがお前を罰したのでもお前が疎ましい存在故にそんな目に遭っているのでもない。
現実はどこまでも現実で、その現実は、お前自身のみが創り出せるものなのだ。他の誰も介入は出来ぬ。
お前の意志、お前の考え、お前の行動、それだけが現実を作っている。
お前は力を持つものだ。お前の意志により現実は如何様にでもなる。
今のお前は己のこともわからず、ただ足掻いている。苦しみに振り回されてただ存在している。
ここはお前の世界で、お前の現実なのだ。」


不満気な顔のまま、ヴァイオレットは押し黙っていた。
男は口調を緩めて、こう続ける。




「そして今のお前には世界の有り様の1%ほども見えていない。目をつぶって道を歩いているようなものだ。
それでは怪我をして当然だ。時に深い溝に落ち重傷を負うかもしれぬな。」


・・・さっきから黙って聞いていれば、けっこうな言われようだ。
ぼくにだってプライドがある。どんなに馬鹿にされても耐えてきた。
でもだからこそ、逆にプライドがある。
ぼくが世界の1%も見えていないって・・なんでそんなこと・・・さっき会ったばかりの魔王に言われなきゃいけないんだ・・。

ぼくのこと何も知らないくせに・・・。


魔王は口をきゅっとつむいでいるヴァイオレットを見てすかさずこう加える。

「私は悪魔だが、今は別にお前を怒らせたいわけじゃあない。もう少し世の有り様がわかれば、
お前は今より格段に楽に生きられるということなのだ。」

・・・楽?

楽ってなんだろう・・・もう苦しまなくて良いってこと?
あの暴れ狂う化け物に支配されて四肢を八つ裂きにされる想いをしなくていいってこと?

もう絶望に苛まれて、世の中の全てを怨み滅ぼそうとしなくてすむってこと?
もうぼくは・・・・孤独に・・・苦しまなくて・・・・・いいって・・・こと・・?


ヴァイオレットの顔がぱっと晴れ、きゅっと力んでいた口はすっと自然な口に戻った。

「世を知り、己を正しく、冷静に認識することが出来るようになれば、遙か遠くまで見渡せるようになる。

大きな世界、実に多くのものが存在し関連し合うこの世界で、

己がどんな存在で、どこに立ち、何を見ているのか。

何を望み、それを達成するにはどうすれば良いのか。
すべてがより明瞭に、冷静にわかるようになるだろう。」


・・・言ってることが・・わかるようで、わからない・・・。今のぼくには・・。


ヴァイオレットは黙ったままだったが、ころころ変わる表情と態度でその感情は実に読み取りやすかった。

「焦らずとも良い。いずれもっとはっきりと視界が開けてくる。そうすれば、お前が何故苦しんだのか、
どうしてそうならざるを得なかったのか。よく、見えてくると思うぞ。」


悪魔はにっかり大きく笑って、そしてまた、ヴァイオレットの頭をガシガシと荒っぽく撫でた。

その直後、シンと静まり返っていた空間が割れ、ケタケタケタと小悪魔たちが笑い声とともに進入してきた。



「さあ、迎えが来たぞ。帰るがよい!」



え・・・帰るって・・・?どこに・・・・?
ぼくにもう帰る場所なんて・・・・・・・・・。





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