1ページ   ★2ページ   ★3ページ   ★4ページ   ★5ページ   ★6ページ   ★7ページ   ★8ページ   ☆次回作へ   ◇→writing

[1]ヴァイオレットエンジェル

1ページ目

拍手する
ヴァイオレットエンジェル 《もくじ》
[1ページ目] [2ページ目] [3ページ目] [4ページ目] [5ページ目] [6ページ目] [7ページ目] [8ページ目]



 それは、舞い落ちる雪のようだった。

 天上からふわふわと舞って、右へ、左へ、下へ――

 その、先へ。

 ふっとひらめかせる右の掌。掠めてこぼれる羽。伏せて塵を積もらせる睫。

 光溢れる天上へ――天使の翼と悪魔の翼で、半分の禁忌を犯して――舞い上がって――。

 薄紫の長いワンピースのような服。ふわふわして温かい――暖められる必要はない魔性の身体――なのに。

 僕はふっと自分の頬を掠める羽を捕まえた。

 それは天使たちの残骸だ。

 抜け落ちた、天に召された天使たちの亡骸。

 天使たちの命日。今日は、天に召された天使たちの死を弔う日だ。
 この秘密の場所では、誰もいない。雲が永遠に足元を漂っていて、地平線になっている。
 空は――空の上の、空は――まるで陽だまりのようで、ぬくぬくと光を溢れさせている。

 ふわっと、地を蹴って、雲の中に倒れこむ。

 以前、十年ぐらい前に観た映画で、こんなシーンがあった。

 少女が雪のような塵に包まれていくシーン。

 まるで少女のようだといわれる自分の丸い頬を撫でて、僕は目を閉じた。

 雲の下にはむせ返るように白い羽毛が層になっている。

 ラッパが聞こえる。

 いつまでもこうしていたかった。

 だが、夜と昼とが飽和した天上界ではもう日付が変わりそうで、
 休日の今日が終わったら、勤め人の僕は、出勤しなくてはならない。

 ああ―――。

「憂鬱だあ……」

 ぼくは立ち上がって、新たな仕事を言い渡されるであろう明日に、思いを馳せるのだった。









 聳え立つ白亜の城。豪奢で、立派で、傲慢で。

 鋭塔が連なったそれが皮肉にも地獄の城の形状に似ていることを、皮肉にも、嫌われ者の僕だけが知っている。

 嫌われ者――。

 そう、それは城に一歩足を踏み入れ、天使たちの視線にさらされるときに、現れる。

 まるで鳥肌が皮膚をぞわりと覆い尽くすかのように、視線は僕の全面を覆う。

 せめて、ぼくは異端の印である悪魔の片方の翼を背中に仕舞う。天使の羽も、両方だ。

 ひそひそ。

 ひそひそ。

 僕はちょっと猫背になって、とぼとぼ歩く。

 

 あれが、悪魔の――。

 そう、血が混じった――。

 ――なんて――

“汚らわしい”



「ヴァイオっち。休日はどうだった?」

 ひょこっと顔を見せたのは、仕事の上では先輩にあたるローザだ。

 僕はちょっと涙目になってたのがばれたのではないかと、ぱっと顔を背けた。

 ローザはピンク色の髪に蒼色の瞳をもった、翼を持たない種族の人だ。

 といっても彼女は空を飛べる。何故翼がないのか、何者なのかは誰も知らない。

 僕は、知りたいとも思わない。僕が悪魔の血を引いていて、
 なおかつ地獄とも行き来している異端の存在であることも、
 何も気にせず接してくれる、彼女を、とても素敵に思っている。それだけだ。

 僕が背けた顔の頬を突っついて、ローザと同じく青い制服に水色のネクタイをつん、つん、つん、とつっついて、
 最期に男女共のデザインであるむき出しの腹の、おへそのあたりをちょん、とつっついた。

「あうっ!」

「何ふくれてんの、ヴァイオっち」

「ヴァイオっちって呼ばないでください……」

「む」

 そんなに無意味に顔を近づけないでほしい。
 ふんわりした甘いニオイが漂ってきて、僕はくらくらする。

「タイムカード、ぶぶー、時間切れ」

 僕ははっとして慌てて出勤すると押すことになっているタイムカードのところに走っていった。

 間一髪。朝の八時半までに押さなければならないタイムカードは、29分で押すことができた。

 ローザが後ろからゆっくりついてきて、フリルのついた青いミニスカートに手を当てる。
 ちぇっ、と唇を尖らせる。

「いじわる……」

「何ですって?」

 にっこりとローザが微笑んで、僕の紫色の髪をひっぱる。

 それにしても髪が紫だからヴァイオレットだなんて、一体誰がつけたんだろう。

 天使にも悪魔にも親はいない。気がつけば一人で生きている。

 生まれた記憶も死んでいく記憶も、ない。

 一人ぼっちだけれど。

 だから、近しい人の傍にいたい、と、僕は思う。

 僕はローザと別れて直属の上司の下へ向かった。4階の突き当たり。
 壁も、階段も、手すりも、何もかもが白くて、地獄にいった後は、僕はその色彩の違いにくらくらする。

 こんこん、とノック。入れ。と中から声がして、僕はドアを開ける。

 そこにいたのは、長髪の金髪碧眼の天使だった。

 床につきそうなくらい波打った髪。長い睫。

 もう、THE天使といってもいいくらいの、典型的な天使の容姿、美貌。

 僕はぺこりと頭を下げて、対照的に短い自分の髪をちょいとつまんだ。

 伸ばそうかな……。

 上司・ルーミネイトには特別憧れてるわけではないけれど、
 もう、典型的な天使に近い容姿になれば、ちょっとはいじめられなくなるかな、なんて……。

 あ、そしたら地獄で悪魔にいじめられるのか。

 むう……。

「どうした?」

 中世的な声。これも天使らしい。人間のいう男らしい、女らしい、という記号にも似た、
 絶対的な“らしさ”がこの人にはある。

「いえ……」

 僕はちょっと微笑む。微笑みって便利だ。無意味に安心を引き出す力が、あるような気がするのだ。

「そうか」

 ルーミネイトはまた手元に視線を落とす。書類の山。無関心な、けれども優しげな。天使のような。天使のような。

 沈黙。

 僕は窓の外に目をやって、ルーミネイトは書類をめくって、ぱら、ぱらと規則的な音がする。

 ぱたん。

 ファイルを閉じる音。僕はルーミネイトの仕事がひと段落したことを悟って、
 ゆっくり、ふっと、窓からルーミネイトに視線を移す。彼は、彼女は?口元に手をあてている。
僕を見ている。

 笑っている?ううん。観察してる。僕のこと。

 僕は、視線を彷徨わせて、なんとなく靴のつま先を見た。
 僕はきこえないようにそっと咳払いをした。けれどそれは乾いて響いた。

 1分……2分……。

 それとも、もっと短い?

 沈黙。

 僕がぼんやりと沈黙に叱責の響きを感じ始めた頃、ルーミネイトは立ち上がった。

 起伏とも平坦ともとれない胸部に視線をやって、ちろりとルーミネイトの顔を見る。

 ルーミネイトは窓の方に目をやって、君は、といった。

「いろいろな意味で、ここでは特別だよ」

 仕事もね。

 そういった。

 僕が天使でもあり悪魔でもあるという事実。

 善行と、そして悪行を地獄と天国のお偉方に報告する役目を持つこと。

 文章にしてしまえばそれだけの。

 けれど、あまりに象徴の羽に重くのしかかる事実。

「そんな君に、うってつけの仕事だ」

 ルーミネイトがこちらを向いた。瞳は、空色の目は、ひどく優しげだった。
 いたわられているような気がして、僕はちょっと傷ついた。

 ローザなら、そんな扱いはきっと受けない。

 そう思うと、僕はひどく心もとない気がした。

 僕はローザのことが好きだけど、それ以前に、先輩と後輩であるとはいえ、対等でありたかった。

 ルーミネイトはかつ、かつ、とブーツを鳴らしてこちらに歩いてきた。
 白い手袋をひらめかせると、ふっ、と書類の束が現れる。

 それをぴっと僕に差し出す。僕はそれを受け取る。書類には顔写真がついていた。

 人間だ。人外の、そして人より上だという天使にとっての常識という本能が、僕にそう告げた。

 一番上の書類に貼ってある写真に写っていたのは、あどけない顔の少女だった。
 ひどく無愛想で、とても可愛らしい部類に入る女の子。

 艶のある黒髪と濡れた瞳、赤いくちびるが鮮明に焼きついた。

「全部で五人いる」

 ルーミネイトはそういった。僕はぺらりと書類をめくる。チワワみたいに瞳が大きな金髪の少年。
とびきり元気な笑顔を浮かべる少年。ギリシャ彫刻のように美しい青年。茶色い波打った髪をもつ垂れ目の、中性的な人物。

 個性に富んだ人物たち、という印象を受けたが、それ以外の、つまりルーミネイトの真意が分からなかった。

「彼らには共通点がある」

 ルーミネイトは言葉を切った。こちらを見ている。

「彼らは共同生活を営んでいるということ、もうひとつは」

 沈黙。

「極楽地獄、にアクセスしているということだ」

「極楽地獄……?」

 うむ……。

 ルーミネイトは椅子に座り、長い金髪をさらりとはらった。

「オッフェンバックの天国と地獄をモチーフにしているとかしてないとか……
正体不明の管理人二人が運営しているホームページだ」

 僕はごくりと喉を鳴らした。天国と地獄。それは僕の羽の象徴。

「なんてことはない、そんなに閲覧者もいない、ホームページだが……」

 ここからは秘密だ。という合図。ルーミネイトが秘密を話すときにする、ペンを弄ぶ仕草。

「上級の魔法使いが、このホームページに魔法をかけたんだ」

「そんなことができるんですか……?」

「うむ」

「……一体どんな魔法を?」

「それがだな……」

 ルーミネイトはたっぷりと勿体をつけて、目を伏せた。

「見えるんだよ」

「何がですか……?」

「私たちが」

 天使が!?

 僕の息を呑んだ様子が伝わったのか、ルーミネイトが付け足した。

「このホームページを訪れた全員が見えるわけじゃない。この五人だけなんだ。
それも、ある条件を満たした者だけが見えるようになる」

「条件……!?一体どんな……」

 ルーミネイトはまた勿体をつけた。僕はちょっといらいらした。

「一体、どんな条件を満たせば僕らが見えるようになるって言うんですか!?教えてください!」

「書き込みだ」

「書き込み!?」

「そうだ……ホームページのどこかに一定以上書き込みをしたら、見えるようになるんだ……」

「書き込み……」

「書き込み」

 ルーミネイトは頷いた。僕は唖然とした。

 しばらく沈黙が続いた。僕はしばらく黙って、ようやくいった。

「それで……何故僕に?僕に何をしろっていうんですか?」

「うむ……彼らには、天使が見える。だが、悪魔は見えない。
天使と悪魔の血が入り混じった君なら、もしかしたら姿が見えないかもしれない。
彼らの善行を記録する役割を、君が担ってほしい。それと」

 ルーミネイトはしばらく考えこんだ。

「観察役……だな。様子を、見て、事細かに報告するんだ」

「は、はい!!」

 僕は身がひきしまる思いがした。



次のページへ    

ヴァイオレットエンジェル 《もくじ》
[1ページ目] [2ページ目] [3ページ目] [4ページ目] [5ページ目] [6ページ目] [7ページ目] [8ページ目]


拍手する